ほぼ足りてまだ欲 その先

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我慢できなくなった

 私立大学のほとんどが生涯学習、あるいはリカレント教育と称して朝日カルチャーセンターやら読売・日本テレビ文化センター、産経学園といったカルチャーセンターが提供するものと大して変わらない時間と知識を提供している。カルチャーセンター講座は多くの場合入門編であることが多く、そこから深さを追求するところが増えているとはいえ、設定する講座の種類という間口が思いっきり広いというのが特徴ではないだろうか。大学がやっているものは間口はそれほど広くないが、教育者が担当してくれる可能性が高い分ちょっと踏み込んだものを提供してくれるのではないかという期待を持たせる、というのが通り一遍な印象かもしれない。
 ところがカルチャー・センターが提供するものの中にはなかなかそんな程度では収まりがつかないものがよく見ると目白押しである。一つ一つが範囲を狭く、その専門性を深く掘り下げようとする講座が数え切れない。こうなると下手に大学が実施するコースでは近隣の人たちのための入門コースを提供することにはメリットがあるかもしれないが、広い範囲のニーズに応えられるかというとそうではなく、企画側の考え方を一つ考え直してみる必要があるかもしれない。
 カルチャーセンターの気軽さというのがどこにあるのかといえば「試験がない」「単位を気にしなくても良い」という学校とは根本的に異なる点にある。つまり自分が興味を持っているところを気軽にほじくり返すことが出来る。しかし、代わりに自分を表現するという場所がないという物足りなさがつきまとう。勿論そんなところなんて要らないよという人はいるだろう。
 私が知っている大学では団塊の世代を焦点に大学の施設を使い、関係する研究者、文化人を講師としたコースを造るのだという。大学それ自体とは全く関係がない。しかし、教室を使い年間に数科目の授業という形を取り、最終的には論文を書くという。つまり大学ではないけれど、模擬大学のようなコースを造ると言うことだ。
 問題はそのコースの中身である。それがいかにもこれからやってくる「超高齢社会に暮らす高齢者」の立場を理解し、これから何をやることが出来るのかを突き詰める、といった傾向の授業群なのである。私が興味をそそられないのはこの分野については自分で情報を入手しようとすると今やこの世の中には活字から映像から思いっきり溢れているからなのだ。本当のことを言うともうここら辺は充分なのだ。むしろこれまで仕事をしてきたときに「あ、この辺のところはしっかりほじってみたいなぁ」と思っていた、あるいは「仕事に関係ないからいいや」と切ってきたあたりをこれからの時間を使いたいだけ使ってほじくり返してみたい、というものなのである。だから、むしろそうした部分を満足させることの出来るシステムを作ってくれたらなぁと思う。例えば大学の通常の講座の中から自分が聞きたいと思う授業を半期に5-6科目とることが出来て、それは現役の学生と一緒に参加し、一緒に考査も受け、一年後には論文をまとめるというシステムでどうだろうか。こうなると大学側は新たなシステムを作る必要は全くない。
 つまり、すり寄った科目群を設定するのではなくて、本ちゃんに受け入れるという覚悟と信念を確立するのである。この種の話は「やってみなきゃわからない」という魔法のひと言で葬り去られるのが普通ではある。実際そうだろう。そんなことを指向するのであれば、大学に入れよ、ということでもあるか。