ほぼ足りてまだ欲 その先

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葬儀参列

 サラリーマン時代にご心配頂いた方が90歳を超えてなくなられ、鎌倉まで葬儀に参列した。寒くてどんよりした空模様の中冷たい風が吹く。鎌倉の駅頭に降り立ったのは一体全体何年ぶりなのか。サラリーマンになって以降、鎌倉を車で走った記憶はあるが、電車で降り立った記憶がない。ひょっとすると学生時代の最後の年に海辺に出かけた、あれが最後だったのかもしれない。鎌倉の駅は基本的にはほとんど変わっていない。それよりも横須賀線の途中の駅から見える景色があまりにも変わっていたのに驚くどころか、唖然として声一つでない。そもそも東戸塚という駅は昔はなかった駅だったし、その駅ができた頃は赤茶けた関東ローム層の土があっちこっちにむき出しになっているのが目につく埃っぽい駅だった。ところが駅から手の届く辺りに何十階ものマンションが群れとなって建っているのには驚いたのだ。子どもの頃は鎌倉といえば夏休みに知り合いのお宅に何日も泊めて頂いて海水浴に興じたという想い出である。だから、日常の生活空間として私は認識していなかったようだ。なんだか「坊ちゃん」に出てくる「オキヨ」がその行き先は箱根の向こうかこっちかと聞いた、というのと大差がない。
 鎌倉の街中はほぼ私と同年齢かそれ以上の年齢の男女がウォーキング・シューズにゆったりとしたズボン、そして帽子を被ってさぁいってみようと張り切っている様子があちこちに見える。そして小洒落た店が連なる。それを横目にこちらは私が多分最年少と思われるおじいさんの群れであった。なにしろ故人が90歳を超えているのだから、湿っぽい雰囲気がほとんどない。皆さん淡々と送る。様々な人が来られていたけれど、不思議ともう20年近くお会いしていないのに顔を見ると名前がぽろっと出る。「君は変わったなぁ」といわれるがこっちは皆さんに若い時を見られているが、こっちはむこうがもう中年後期の時に見ているわけでむこうはもう変わらないのだ。友達のお父さんをお見かけしたがお声をかけるに至らなかった。まだお元気なことが分かって良かった。故人の娘婿の挨拶によれば「俺はもう死ぬ」と酸素マスクを取って大きく一息ついて逝かれたという。昔から豪放な人だったからいかにもそういいそうだ。私は事務所で「お前の髪の毛はまだ長い、俺が切ってやる」とはさみを持ってふざけて追いかけられた記憶がある。 ご冥福をお祈りする。