ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

浅草・雷門の人力車

 東京首都圏版の新聞記事やテレビのニュースで取り上げられていた雷門前の人力車はいつの頃か我が物顔ではびこっていて実に邪魔で、しょっちゅうあの前を通る人たちはできるだけ雷門前のT字路に差し掛かることのないように頭の中で考えては歩いていた。おいてある彼らの俥が邪魔なだけではなくて歩道の上でウロウロしながら客引きをするからまっすぐ歩こうとする人にとっては邪魔くさくてしょうがない。彼らは客の動きに反応して突然後ずさったりするからすぐにぶつかったりするからである。呑み屋街での客引きが規制されているのに、彼らの客引きが規制されないのはなんでだろうか。
 あのそれこそロハスな乗り物であった人力車だけれども、今では別にあれに乗ってどこか目的地まで走っていくわけではなくて数多くの観光地に進出してウロウロしている。あの俥は実は結構な大きさで一台ごろんとおいてあるとけっこうな場所を取る。彼らは今までT字路の角の舗道上をあたかも自分たち専用の駐車場のように占拠してきた。
 さぞかしいろいろな地元の有力者にいろいろな(この中には利権に絡んだいろいろもあるんだろう)交渉をしてきたらしくて、あっという間にはびこった。正月の公会堂での歌舞伎見物に入るとわざわざ「お帰りには人力車での浅草観光をご利用ください」という宣伝アナウンスが流れる。つまり興行主の松竹にいくらかのキックバックがあるということだろう。浅草ビュー・ホテルで開かれる結婚披露宴に挙式会場のあっちこっちの神社から新郎新婦を載せた人力車がやってきたりする。残念ながら提灯を持った二人に先導された人力車は沿道の人が誰も振り返らない中を侘びしくやってくる。ビュー・ホテルの隣のスーパーの前でようやくおじいさん、おばあさんの誰かが拍手をしてくれてホッとする。浅草の人は随分と愛想がよい。週末はしょっちゅうあの大きな図体にたったふたりのお客を乗せて人ごみの中に乗り入れてくる。梶棒というものは結構人ごみに対応して作られていないようで、そんなところに遭遇するとぶつけられやしないかとヒヤヒヤする。
 俥を引いているにいちゃんがどこかの訛りをイントネーションに残して浅草を説明する。歴史観が入っていないところが至極表面的で彼ららしくて納得する。
 で、今度はようやくあそこのT字路で俥は車道のヘリにわざわざ俥を駐車禁止除外の札を取り付けて車道に置かせることにしたというのである。それだけ公道が彼らの金儲けのための駐車場として専用利用できることになったというわけである。どうして勝手にわき出すようにやってきた人力車の利益のために公道を駐車スペースとして専用使用できるようにし、わざわざ公的資金を歳出して交通標識まで作らなくてはならないのか全く理解できない。なにゆえ公のスペースを使って私的利益を稼ぐことがこのように大手を振って許され、しかもそれをマスコミがこぞって宣伝されるのか。これもまた「公(おおやけ)」の利益なのか。観光資源なのか。私には全く理解ができない。