ほぼ足りてまだ欲 その先

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おいしいお店

 こうしたネット環境が10年前に比べたら怖ろしいくらいに発達してがらりと世の中を変えたのは、日常生活上で手に入る情報が怖ろしく増えたことだというのは今更書く必要がないくらいだけれど、中でも面白いのは地域の情報、それもお店の情報が怖ろしく増えたということではないだろうか。
 例えば「ねぇ、どこか美味しいお店知らない?」と聞いて、思い切って試してがっかりしたり喜んだりしていたものが、今やちょろっとネットで検索をしただけで、あぁ、あの店は中の様子がよく分からないけれど、こんなことを書いている人がいるんだなぁ、というのがすぐに手に取るように分かる。
 外国の街にしたって、大きなところだったらその地域に暮らしている日本人の人たちがいくらでも発信していて、何から何まで分かる。私がオーストラリアに行った1995年頃にはシドニーの街から発信している人は数えることができた。ニフティーに加入したらそれはオーストラリア、ニュージーランドのアカウントだったらしくて、私は90番台の番号を貰ったくらいで、ニフティにもそれくらいしか発信している人がいなかったということだ。それがどうだろう、今は一体どの辺を見ていこうかと悩むほどの発信者の数だ。しまいには私が暮らしていた街の一本向こうの通りに暮らしておられる日本人(こちら)の方が日記を書いておられて、あの辺のことですら日常が窺えて、随分変わりそうだなぁと情報が入手できてしまう。
 そして、「美味しいもの」店情報を発信しているポータルサイトもさることながら、ご自身でこまめにお店に足を運んでご自身の「美味しいもの店」好みを評価して掲載されておられる方も数々おられる。私は自分自身の舌に全く自信がない。だから人にお勧めすることはない。その代わり、この店はしっかりしたものを食べさせる、この店はもう一度食べに行きたいというお店は人様にご案内することはある。しかし、第三者に断定することはしない。上品な食べ物が好きな人もいるし、どちらかというと「ここって怪しさ満載だね」と喜ぶ人もいるんだもの。脂っこい味、濃い味ならば旨いという人もいるし、すっきりしていないと口をへの字にしてしまう人だっておられるのだ。
 喰いものは総じて値段を出しさえすれば旨いし、それが旨くなかったら詐欺、というものだ。だからいくら旨いとどなたかがお書きになっても普通に食べて一人あたり2万円もするなんてお店は一切行く気がない。それはもう知恵とはいわないと思う。誤解を恐れずに書いてしまえばそれは単なるお金持ちのお遊びのお相手だと思うからである。そんな料理はテレビの馬鹿騒ぎ番組で見るだけでよい、と思っている。
 勿論それぞれ自分の好みであって、着ているものなんてボロボロでも良いからとにかく金に糸目もつけずにとにかく「旨いっ!」というものに金をつぎ込んでいる人だっているだろう。いるだろうけれど、私はただそれに与さないと云うだけの話である。
 なんで今頃こんなことを書いているのかというと、ただ単に今朝起き抜けに遭遇したサイトに書いてあった鮨屋のランクで、その人が満点をつけていたお店はどこかとスクロールしていったら、二十年ほど昔に随分モダンな建物が建って、「ありゃなんだい」ときいたら誰かが「あれはなんでも鮨屋で、相当に高いらしいぜ」と云う話だったところだ、というわけ。で、中を読むと「おうおう、旨そうじゃねぇかよ」と思ったら「2万円から」としてあって、あんまりだとガックリ来たというわけだった。つまり、貧乏人の遠吠えだ。2万円あったら温泉に行こうってくらいだ(価値観の相違)。そうだ、一段落したから温泉に行きてぇなぁ。