ほぼ足りてまだ欲 その先

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インフラの民営 - 自衛できるのか

 「がっちりマンデー」というTBSのテレビを見るまで全く忘れていたけれど。1998年7月4日に改正されて1999年4月1日より施行された水道法は水道の民営化ができることになった。その後何も知らなかったのだけれども茨城県太田市は既に水道が民営化されているのだそうだ。実は水道の民営化というのはそれほど珍しい話でもなくて、10-20年くらい前に先進国のいくつもの国の中でさんざんインフラストラクチャーの公営から民営化への転換が図られ、いくつかの国のいくつかの分野でその結果の問題が報じられている中にも含まれているけれど、民営化されている。水道は多くの場合ヨーロッパのいくつかの企業に牛耳られつつあることはあまり大きな声で報じられていない。かつて暮らしていたことのある豪州でも何もかも民営化が図られ、当時新鋭の浄水場が建設され、フランスの水道企業が参入した。ところがその直後に水道の中に一種の微生物が混入するという事故が起きた。当時の豪州側機関は責任者があっという間に「引責辞任」をしてしまい、その改善にとんでもない時間を要した。
 何をいいたいのかというと、利益を追求するという命題をその根底に抱えている純民間企業に、なくては人間の生命に大きく影響を与える、インフラを任せるという手法が何故このように採用されるのかという疑問である。民間企業に安全性を委ねてしまうという制度は果たして国民の安全を確保する手段となり得ているのだろうか。東京電力はテレビのコマーシャルで柏崎刈羽電発において1300mのボーリングをして地層の調査をしていることを利用者に報じている。これはまさに民間企業が如何にいい加減なのかということを示している。こんなことは原子力発電という、一度事故が起きたら全くの話取り返しがつかない事態を確実に招く施設を利益追求のために如何にいい加減に作ってきたかということを表している。
 大変に残念なことにこれまで私たちの国の政治は言辞を弄して、国民の安全を図るが為のスタンスから、自らの利益を守るためのスタンスを優先させてきた。私達はそれを許してきた。その結果、食いものすら守ることができなくなってきた。もう一度この国に生まれてくる後継者たちが安全に暮らすことのできるシステムを作り出すためのスタンスを見直して行かなくてはならないだろう。