ほぼ足りてまだ欲 その先

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ひさしぶりに

 大学の学部の授業に出席した。200名近くいるという学生のほとんどが2年生だという。第一回目の授業とあって授業が始まる前に先生が切々と授業に出席する心構えを語られる。「こんなことはいいたくないけれど、最近の傾向を見てどうしてもいっておきたい」と仰る。最近の大学の授業も私語が絶えない、あるいは携帯でメールをチェックする、という話を聞く。誤解を恐れずにいってしまうと、あまりにも世の中を知らないというか、幼いのだろう。つい、隣の学生とぼそぼそと話し始める。そのぼそぼそがどんなことを周囲に及ぼすのかという想像力が働かない、というよりも働かすことを知らない。ただそれだけだ。
 しかし、これは彼らに限った話ではないのだ。例えば電車の中でかかってきた携帯電話に平気で反応して話し始めるおやじ、おばさんは後を絶たない。そうした気遣いがこの国のこの社会の普通のあり方だということを知らないわけではないのだ。例えば外国からやってきた人がそんな習慣を知らずにそうしていたのであれば、そのうちそれに慣れてくるといえるだろう。ところがそんな習慣をすでに心得ていながらついそうした行為に及んでしまう。それは社会性がないと表現される「世の中を知らない」からでもあるし、働かせるだけの想像力を持ち得ないからでもあろうか。
 では、どうしたらそうしたものを取り戻すことができるのだろうか。それはご自身にそれは周囲に迷惑だと伝えていくしかないのだろう。しかし、今の状況ではそれがどの様なことを引き起こすのだろうかと考えるとなんだか怖ろしいことでもある様な気がしないでもない。瞬時に加害者が被害者意識を持つという理不尽な価値観の転換が簡単に発生するだろうことが想像できるからだ。そう思うとそうした指摘を逡巡する。するとこうした事態はいっかな解決できないのだろう。
 先生のお話は大変にかみ砕いたもので、予想通りに大変に興味深い。前期だけ聴いてみようと思ったのだけれど、一回目の話ではどうやら後期の話も今後の自分の環境を考えると聴いてみたい気がする。どこかで簡単な英国史年表というものはないものだろうか。