ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

連休 渋滞

 [写真:これはジャスミンの塊である。あの独特の香りを無料で道行く人に提供している。]
 これで連休は終了した。昨日も一昨日もテレビを見ると高速道路のどこかの渋滞が映っていた。
 そういえば10数年前までは私もこんな時期、こんな渋滞の中で悶々としていた。まだ幼かった頃の娘は今になっていうのは自動車の中に閉じこめられているのがいやだったのだそうで、そういえばめったやたらと「おとうさん、おとうさん!あとどれくらいしたら着くの?」と聞いてきたものだった。その度に「まだまだかかるよ」といっていたけれど、彼女はそんな状況が好きじゃなかったのだという。親は子どもを少しでも自然の豊かな場所に連れ出したくてそんな渋滞に耐えながら車を転がし続けていた。今から考えるとあれはいったい誰のためにそんな時間に耐えていたということになるのだろうか。連れあいもそのうち不機嫌になる旦那の運転に耐えるのもいやだったろうし、行ってみれば5月だというのにマフラーやダウンを手放せない様な寒い山の中である。美味く焼けない炭の臥せ焼を降りしきる雪に耐えながら燃やし続け、ぺったんぺったん小麦粉をこねてパンを焼いたら焦げ焦げだったりしたものだった。でも、それが私にとってはとても貴重な非日常だった。こうした休みに入ったら何よりもかによりも都会をとにかく逃げ出したかった。しかし、子どもにとってはなんのためにそんな非日常に出かけなくてはならないのか、理解ができるはずもない。
 そこのところは親が迷わずにやるしか方法はない。将来の子どものところに行って、「あれは良い想い出になっているのかい?それとも辛い想い出かい?」とでも聴くことができれば良いのにねぇ、と本当に思う。
 自分の想い出に翻ってみると小学校になってから毎日父親が当時飼っていた秋田犬を散歩に連れて行くのに付き合うのが嫌だった。たまにであれば良いのだけれど、犬は毎日連れ出してやらなくてはならないから人間様の勝手にはならない。しかし、冬のどんよりした西風が吹きすさぶ時なんてのは嫌だった。だから、「行かない!」と袖にしたこともある。おやじはどう思ったのかは知らない。そうやっておやじを振っておいて、家の中でふざけていて石綿でできた煙突を折ったことがある。あの人は怒ったよ。そりゃそうだ。父親を袖にしておいてふざけていたんだから。それにしてもうちの親父はあの頃から寒がりで、あんな温暖といわれる土地なのに、家の中に石炭ストーブを置いていたのである。北海道や東北の冬ではなくて、静岡の海辺なのに。
 私のおやじの世代は忙しく高度成長期を働き続けていたから家族旅行なんて多分全人生の中で本当に数えるほどしか行っていない。時として日曜日に繁華街のデパートに行って宝物の様なソフトクリームを食べさせてもらえることが至上の(大袈裟ではなくて)喜びだった。それすら出かける直前に会社から電話がかかってきてチャラになることも珍しくなかったという記憶だ。東映の映画を見に行くことができるのは必ず日曜日の夜だったのはなにか意味があったのかも知れない。