ほぼ足りてまだ欲 その先

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声をかける

 私が出かける図書館の閲覧室の書棚はその間の通路がとても狭い。本を探していると他の人が入ってきたら一度は断念してどちらかに張り付かないとその人をやり過ごすことができない。当然、「失礼します」と声をかけないと気がついて貰えない。しかし、今の学生たちはほとんど口に言葉を載せない。どうするのかというと黙礼をしたりするのだ。それでは自分の意思は相手には伝わらない。もしくは黙ったままでその相手が気がつくまで近寄っていく。つまり相手に「おい、気がつけよ」といっている。多分心の中で周りの状況に気がつかないお前が悪いと思っている。それでいて自分が立っている時に他の人に気を配るかと云えばそれはしない。中にはそんなところで立ち話をしている奴までいる。こんな狭い通路を造る方がどうか、という云い方もあるけれど、今すぐその場で解決できる方法は互いに譲るという気持ちを持つということでしかない。しかし、譲ったら負けたとでも思うんだろうかねぇ。
 そんな図書館が時として廃棄本を出す。結構真剣に欲しいものが転がっていたりする。昨年入手したものの中でようやく手がついた本が結構面白い。

  • アメリ強制収容所 戦争と日系人」小平尚道著 玉川大学出版部 1980:本書は玉川大学・学園同窓会のサイトで見ると3年ほど前に復刊されているらしいがアマゾンでは見つからない。著者は1912年にアメリカで生まれているのでアメリカ国籍の持ち主。1940年、27-8歳の時に日本を知りたいとやってきた。ご両親は既に日本に帰っておられた様である。しかし、日本の怪しさ、狂信的な社会に嫌気が差して開戦前にシアトルに帰る。

図書館で見付けて二冊を借りだしてきた。

  • 「帰米二世ナンシー夏子の青春」神谷良昌著 琉球新報社 2006.10:沖縄出身の移民の親からハワイで1921年に生まれた二世女性、仲里夏子。日本語を教えられる様になりたいと1937年の暮れに両親の出身地である沖縄に渡る。翌年沖縄家政女学校に入学。さすがに多くの移民を送り出していた沖縄であったので、当時、北米、南米等から来ている移民二世たちの集まりがあったそうだ。1941年春に東京の実践専門大学に入学するつもりだったけれど、東京で「米国人二世は米国に帰りなさい」というビラが飛行機からまかれてハワイに帰ることを決意。同じ帰米二世である夫と結婚。LAで開戦。ハートマウンテンに収容。いわゆる「ノー・ノー」組でツールレイクへ。1944年7月に米国市民権離脱ができる法案「Public Law 405」が成立。市民権から離脱して戦後日本へ渡る。夏子は25歳。夫ジェームズ輝雄は進駐軍基地のコックとして働く。ジェームズ輝雄は沖縄が日本に復帰した最初の知事である西銘順治と在沖縄時代同級生。1951年に戦後市民権から離脱した人々の復帰が認められ、米国に帰ることを希望していたジェームズ輝雄と共に市民権を回復。何がそう思わせるのか判然としないのだけれども、この本はなんだかまるで私家版の様な雰囲気があちこちにある。
  • 「改革進むオーストラリアの高齢者ケア」木下康仁著 東進堂 2007.07:著者は立教大社会学部の教授。「グラウンデッド・アプローチ」の普及に貢献した研究者として知られているが、老年学の研究者・実践者でもある。UCLAでマスター、UCSFでPh.Dだが、メルボルンのラ・トローブ大学リンカーン老年学研究所に客員として一年間滞在。月刊総合ケアで連載したものを下敷きにしたとあとがきに書かれている。私は2000年に木下先生の授業を受けた。やはり優秀な研究者としてのスタンスは水上徹男といい、木下康仁といい、その切り口には感銘を受ける。自分のものなぞこのお二人にはとても見せられない。