ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

新宿 - 大塚

 木曜日のレクチャーのある日だったので新宿に向かう。もうまさに夏そのものだ。用心のためにまだ鞄の中にウィンド・ブレイカーを入れているんだけれど、もうほとんど省みられることもほぼない。こうなると鞄の中に入れるのはサマーセーターにする時期がやってきたのかも知れない。これからの要注意対象は電車の中や建物に入った時のがんがん効いた冷房だから。
 家は順調にでたのだけれども、乗り換えの電車はなかなか来なくて、結局いつもと同じでギリギリに部屋に飛び込む。相変わらず前の方は一人でふたつの席を占領している無遠慮というか周りにもう気を遣うことのできなくなってしまった高齢者の人たちばかり。この辺は大学の学生より始末が悪いかも知れない。両端の一番前はあいていてそこに座る。
 今日一番驚いたのは日中戦争において国民党軍と日本軍の戦闘は2,800回ほどあったといわれているが、実は共産党軍との戦闘はわずか8-10回しかなかったのだという話だった。大変に意外な話で思わず会場から「えっ!」という声が出たくらいだ。しかし、国民党サイドの資料の中にこれは確かに記録されているというのだ。
 国民党には「四家」があって、それが蒋家(軍)、宗家(経済)、孔家(文化)、陳家(党)。この四家を中国共産党は追求してきたが、ここ20年ほどの間に中国共産党はその見解を変えつつある。もちろん肯定的に評価する訳ではないが、北京では蒋介石の自伝すら出版されている。1937年4月に南京政府政治部長であった陳立夫は当時日本の国会議員と面談した時に「日本は満州をつくって華北に手を出そうとしている。百年かかろうと二百年経とうと私たちは闘う」として、その後日本人には一度も会っていなかったのだそうだ。
 現在の中国でも日中戦争の資料をきちんと史実を持って語るべきだとする若手研究者が出てきていることは注目すべきだろう。
 戦後、江青が王兆銘に「反省せよ、そうすればでられるぞ」と迫った時に、王兆銘は「私は日本に賭けた。共産党ソ連に賭けた。そして国民党は米国に賭けた。その結果中国はいずれにしろ分裂することを防いだ訳で大きく考えれば中国のためになった」といったというのだ。ポール・ジョンソン曰く「日本人は目標に向かって最短最小で行こうとする。しかるに中国は世の中は循環しているんだという発想をする。その場では負けてしまってもきっと長い目で見ると巡り巡ってくるのだ」。今でも中国に行くと「日本」と聞いただけで血が上ってしまった反応する人たちはいくらでもいる。日中戦争で愚弄した日本人に対する怨念は広く深い。この日中戦争で結果的に得をしたのは誰かといえばコミンテルンであり、中国共産党だろう。
 今日知った書籍

 正午を過ぎて質問が3-4件出て終わる。保阪正康の次回のシリーズは7-8-9月に月に一回ということになる様だ。9月から私は粟屋憲太郎を聴きに行くつもりだけれど、保阪は7月に東京裁判について語る予定だそうで、9月6日には東京裁判関連資料を分析するそうだ。
 外に出ると陸上自衛隊第一音楽隊なるものがランチタイムコンサートをやっていて、随分とたくさんの人たちが弁当を使いながら聴いている。第一ということは少なくとも第二があるということか。一体全体いくつあるというのだろうか。周りでは女性自衛隊員がちらしを配っている。日本に入ってきた西洋音楽といえば軍楽隊が最初だといわれているからその本流を継承している一群だと思えばよいのだろうか。新興宗教団体がこうしたユニットを多く持ちたがるけれど、それの元締めだと云って云えないことはないなぁ。
 こっちに関心がいってしまっていて、都庁に寄って資料を貰ってこようとしていたというのに、全く忘れてしまって、ひょいひょいと駅まで歩いてしまった。
 mixiで大塚に清水・三保に総本店を持つ桜エビの唐揚げが売り物のフランチャイズ蕎麦屋があると聞いたので、帰路に寄ってみる。感覚としては「せんねんそば」に近いと思えばよいだろうか。ミニかき揚げ丼+うどんを頼んでみる。かき揚げ割って、その少しを全く愛想のないうどんに入れるとあら不思議、かき揚げうどんとミニミニ丼。丼のかき揚げの下に大根おろしが敷いてあった様な・・。ところで、桜エビとオキアミって全然違うんだろうか。