ほぼ足りてまだ欲 その先

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スズキ

 オーストラリア国立大学(ANU)の日本史研究者、テッサ・モーリス・スズキが5月22日の朝日新聞朝刊(p.23 文化)に投稿した文章が話題になっているとどなたかのブログで読んだ(ネット上であっち行ったりこっちいったりしていると分からなくなってしまう)。テッサ・モーリス・スズキは7-8年前から私は気がついている人で、在日の方々の北朝鮮への帰国運動は当時の日本政府が主導していた面もあると歴史的文献を掘り出してきた研究者として記憶しており、人間の移動という観点で発言しているのを聞いたことがある。

チベット問題から見る人権 「国境」超えた連帯で保障を》
 今年3月、テロリスト容疑者を収容しているある施設から、、そこにおける人権抑圧を告発する手紙が英国BBCに届けられた。
 送り主はトルキスタニ氏で、中国ウィグル自治区の住民であり、トルコに向かう途中、十数人の仲間と共に捕縛された。すでに6年間、無裁判のまま1日22時間を独房で過ごすという劣悪な環境化で拘束され続けている。
 ウィグルはいろいろな意味でチベットに酷似する。ウィグルでは独立や自治権拡大を求める運動が盛んだ。活動家の大多数は非暴力の抗議行動をおこなう。しかし、中国政府はこれらの人々を過激派と同列と見なし、弾圧している。
 トルキスタニ氏と仲間がテロ活動に従事したとする証拠は、皆無である。それでも、故郷から遠く離れた収容所で拘束され続ける。明らかな人権侵害だ。中国政府によるチベットでの人権侵害に関心を持つものなら誰でも、トルキスタニ氏らの即時釈放を関係当局に要求すべきだろう。
 ところが、そうはなっていない。なぜか?
 トルキスタニ氏と仲間はイスラム教徒で、米軍によって捕縛され、収監されているのは悪名高きグァンタナモキューバ)の捕虜収容所だからである。
 米ブッシュ政権チベット自治権拡大運動を支持する。だが同時に「テロとの戦い」の一環として、中国政府に過激派への激しい監視も要求した。それは中国政府にとっても具合が良く、独立や自治権拡大を求める活動からに「テロ分子」のレッテルを張り、弾圧を強めた。少数民族への抑圧や人権侵害は決して、一部の「人権後進国」によってのみ引き起こされている現象ではないのだ。
 チベットの人権問題では、世界中のほとんど全ての人権活動家が中国政府を批判する。当然のことだと思う。しかし、同じ人たちがウィグルの人権問題に口を噤(つぐ)むのはいけないと、私は考える。
 チベットへの注目が集まる中、日本で行われた五輪の聖火リレーでは、「人権問題の衣装を着た反中国のナショナリズム」と見なされる抗議行動もあったと聞く。悲しいことだが、反中国のナショナリズムは、必ずや中国における反日本のナショナリズムとしてお返しされるだろう。
 そうではなく、チベットでの人権侵害には、中国国内で困難な闘いを続ける人権活動家を含む世界的規模での連帯・協働で対抗する必要がある、と私は考える。「チベットに自由を」という声が反中国ナショナリズムの好都合な道具として利用されてしまう事態は、避けねばなるまい。
 すでに、中国の作家である王力雄氏や劉暁波氏らは「中国政府は暴力的な鎮圧を測定しすべきだ」とする声明を発表した。彼ら彼女らを国境の壁によって孤立させてはならない。チベットでの人権侵害に対抗するには、普遍的人権の保障という共通目的で、国境を越えて連帯・協働することこそが必要なのである。
 そしてその運動は当然、無裁判のまま拘留されているグァンタナモの被収容者の人権救済要求をも視野に入れたものであるはずだろう。(朝日新聞 2008.05.22朝刊)

 「過激派テロリスト」というラベルはこっちでも有効であり、あっちでも有効であるということを再認識する。そしてエスタブリッシュメントを犯す共通の敵と対峙する時にはあっという間に阿吽の呼吸で連帯ができてしまうのが権力を保持する人間の機を見るに敏であり、それがコツという奴だろう。なにしろわが国から5億の支援を得たと思ったら返す刀で自らが支援する反動国家にはその倍の10億を支援するという太っ腹である。
 確かに反中国ナショナリズムがこの機に乗じて突然「人権擁護派」となって中国に対して批判を続けていることに何かを割り切れないものがあって、具体的にいえば独逸に滞在する自称ジャーナリストの方なぞは戦争中の出来事やその記録に関しては全面的否定派でありながら、チベット弾圧反対を掲げるというヤヌスの神的存在と化している姿に気圧されている間にどう反応して良いのか逡巡していたところだった。
 本質的人権運動的観点からの行動と反中国ナショナリズム的観点からの行動はこの場合現象として同じように発生して構わなかったはずだ。しかし、その実はそうでもなかった。あるいはオリンピックへ向けての盛り上げ運動がからんでナショナリズムの高揚運動が必要以上の突出行為を報道させたという面もあるかもしれない。ひょっとするとかの四川大地震が水をかけると同時に、突出したとは見えない草の根ナショナリズムとして表出する可能性がないとはいえない。その時に反中国ナショナリズムはどう反応するだろうか。
 第4回アフリカ開発会議TICAD4)に見るまでもなく、多くの途上国は経済基盤が脆弱(とはいえあくまでも資本主義的概念での経済基盤だけれど)な上に、富の分配は強い者勝ちであり、弱者を切り捨て、力に結びつく富を独占することによって成立しているのが権力であるのが実態である。と、ここまで書いて、それは実はどんな国でも同じだということに気がつかない訳にはいかないのだ。中国がチベットのみならず多くの少数異文化民族を抱えたまま力で屈服させている現状は、米国が「正義の行使」だと(他から理解されなくても)主張してイスラムを弾圧していることとはなんら異なるところがない。それは日本政府がアイヌを日本の先住民族として認めようとしない姿勢にも当然重なる。そしてそれはいつまでもアウン・サン・スー・チーを自宅軟禁し続けるビルマ軍事政権とまさにうり二つである。