ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

介護労働

 非破壊編集さんがお書きのように、介護労働の世界はとんでもない状況のまま顧みられていない。2000年の福祉構造改革のおかげで明確な介護労働者のシステムが確立したことは(その過渡期的過程において様々なことがもちろん発生してきたことは認識しておかなくてはならないけれど)評価するべきだろう。介護支援者の立場を明確にしてきたことは確かだろうと思う。しかし、それから先がいけない。当所介護保険の利用者が低迷するのではないかという危惧をもっていた位なのに、待っていましたとばかりに利用者がどっと増えた。その中ではコムスンのように水増しして保険料をかすめ取る事業者がいくらも出てきたりしたのでその辺は割り引かなくてはならない。
 それにしてもそのおかげで厚労省はびびった。介護システムの改訂と称して現場労働に対する報酬を引き下げた。全く森を見ないで木を、それも枝を見ているというようなものである。おかげであれだけ雨後の竹の子のように増えた介護労働者養成機関も苦しむけれど、もっと苦しむのは介護の現場である。
 訪問介護に現場に至っては実際に戦力になるベテランさんの「犠牲」に成り立っているといってほぼ間違いがない。なにしろ若者には手に余る(あれもこれも支援のできる手は多くの経験を必要とする)からベテランの、それ主に女性に依存している。それもほんのわずかの賃金で。
 ベテラン訪問介護士が自分の時間を取り戻したいと思ったとしても現場から「ほんの少しでも良いから(担当を)もってくれないか」と頼まれてしまうと、ここで手を引いたらあの利用者さんが困惑するかも知れない、そして他のヘルパーを辛い局面に立たせるかも知れない」という責任感にさいなまれて続ける。そんな現場の労働者の弱みにつけ込んだ形で成り立っている業界だといっても良いかも知れない。
 それは若者が家庭を支える労働者としてやっていける賃金のレベルを遙かに大きく下回っているということなのだ。彼らもまた、どうしても暮らしていけないから他の仕事に移るが、そんなときに後ろめたい気持ちに陥る。「私にはやっていけない」と燃え尽きてしまう人も後を絶たない。そして現場に常に新しい、使命感に燃えている若者の参入がいつまでも続けばよいが、そうは世の中はいかない。これから先じり貧に陥るのは明確だ。これを厚労省は解決しようとしない。むしろすでに日本国内の介護労働者を諦めてしまって外国人の手に頼ろうとしている。なぜか。賃金が安くすむからである。
 そうした職場環境に一端変化しまったら日本の介護の世界は彼らなしには成り立たなくなる。日本の食糧自給率の低迷を今嘆いているけれど、外圧にどんどん譲歩してグローバリズムを錦の御旗にして振り回していた新自由主義のおじさんたちにはこの辺はわかっていないんだろう。わかっていなくても良いのだろう。なにしろ彼らは自分の理論が他を打ち負かすことに意味があるのだし、それによって儲かる業界に支えられるのだからである。
 今度も厚労省管轄の話になるわけだけれど、介護労働の話はまさに厚生省と労働省が一本化して横の壁がなくなった分野なんだから、その効果をまさに発揮してすぐそこに来ている底なし沼の介護ニーズを明確にしなくちゃならない。御用学者にだまされるな。