ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

NHK BS-hi

 8月になってからNHKBS-hiの「ハイビジョン特集」でこれまで放映してきたアジア太平洋戦争にからんだドキュメント番組を再放送している。先日放映された「ヒロシマナガサキ 白い光 黒い雨 あの夏の記憶(原題:White Light Black Rain)」が再放送された。日系三世のSteven Okazakiが2007年に制作したドキュメントフィルムである。彼は広島、長崎の被爆者500人に25年かけて向き合い、インタビューを重ねた作品だという。この作品についてはとても多くの人がブログに取り上げて向き合っているようだ。
 これまでの私の人生の中でそれぞれの原爆についてはいやと云うほどの情報を手にしていたはずだったのに、もうここ十数年の間に少しずつぽろぽろ、ぽろぽろ手の指の間からこぼれ落ちているという感じがする。何人もの方たちのお話しをお伺いしていると断片的に聞いた話が出てきたりもする。
 被爆の翌日から既に日本人がモノクロフィルムを回していたことにも驚くが、この辺の話を聞くと必ず出てくる1947年の米軍との合同(ということになっている)で実施された調査委員会のフィルムは犠牲者の傷の具合を赤裸々に見せる。そしてショックなのは調査はするけれど、治療はしてもらわなかったという証言である。そして、多くの子どもが絶望して自殺していった事実。1955年に25名のいわゆる「原爆乙女」が整形治療のために渡米し、1年半かけて整形したということも私にとっては初耳だったような気がする。1955年5月11日には米国のテレビ番組に谷本清牧師が登場し、爆弾投下機の副操縦士だったロバート・ルイス大尉が登場して「なんということをしてしまったのか」と谷本牧師と握手を交わす。
 登場する何人ものインタビュイーは日本人も朝鮮人も米国人もひとりひとりの発言は忘れられないものばかりである。
 広島の犠牲者14万人、長崎の犠牲者7万人というが、その後当時の医者が「世界中の医者は誰も診たことがない症状で全くわからなかった」状況でその後も被爆者は死んでいく。全部で40万人は被害を受けたといわれているとフィルムは告げる。
 一体何人の人たちがこのフィルムを見たのだろうか。そしてそのうち米国では一体何人の人がこれをどんな感慨を持ってみたのだろうか。
 「どんなことがあっても元の身体には戻りませんから。」