ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

8割が東京に

 さる方のブログを読んでいたら日本全国の古本のうち8割が東京に集中しているというのである。これには驚かざるを得ないけれど、それでは各地の大学の学生は文献入手をどうしているのだろうかと心配になる。図書館が充実しているのだろうか。では私のような学生ではないけれど古い本を見つけたい人たちはどのようにして入手するんだろうか。今やネットがあるから相当に重宝しているということなのだろうか・・どんどん疑問が浮かぶ。逆にやっぱり東京に暮らしているというのは圧倒的に有利だということになるのか。しかし、その東京に暮らしている人にはそのありがたみがあんまり良くはわからない。人間は自分が暮らしている環境には大いに埋没してしまうということになるのだろうか。食べ物が充分すぎるくらいにあふれていると、それがない状況を想像できないことが間々あって、それが先人達の言葉に触れてどきっとするような状況を数々生むことになる。
 この論理で行くと「あいだみつお」のあの格言集のようなものはどっちでたくさん売れるというのかね。それにしても多くのチャンスに恵まれていたとしてもそれを入手できる経済的背景が必要だということになろうか。
 非破壊編集さんがこの話にコメントしてくださっている。
 実は私は1971年から1976年まで東京を離れて東海地方にいたことがあった。当時は書籍についてはそれ程の関心がなくてNew Music Magazineや話の特集なんて雑誌が買えていればそれで良かった。問題は新しい音源で当時JazzにもBluesにも当然ビートルズの流れにも関心が一杯でとにかくNHK-FMを「FM fan」なんかを見ながらできるだけエア・チェック(この言葉はもう死後か)した。新譜がでて、町のレコード屋に行ってみると「あぁ、三枚入ったんだけれどなぁ、AちゃんとBちゃんとCちゃんが買っていってもうない」というのだ。売り切れるのには仕方ないと思うのだけれど、買った人間がわかっているというのは凄い。当時、月に一度だけ、土曜日が休みになったばかりだったので、金曜日の仕事が終わると当時まだあった急行で東京に帰った。音源(といってももちろんレコードしかないわけだけれど)をYAMAHAか山野楽器で買い、生意気にも月に一回床屋に行き、日曜日の夕方急行で戻ってきていた。もちろん新幹線に乗れば早いけれど、金は高かった。
 当時は東京に戻ることになったら必ず映画もコンサートも(当時はライブなんて云わなかったと思う)がんがん行くんだぞと心に決めていた。しかし、いざ東京に戻るといわゆる「のど元過ぎたら熱さを忘れる」という奴になったのだ。
 しかし、それにはやっぱり理由がある。東京に帰ってきたときには所帯をもう既に構えていたのだ。そうなるとどこかに行こうといっても当然一人でやりたい放題にはならないのだ。そして経済的に可処分所得は当然減少するのである。
 外国に三年半暮らしていたときには、書籍にはとても渇望していた。日本語の読みたい本をシンガポールから送られてくる日本の新聞の広告欄に見つけると、いてもたってもいられなくなる。当時はNIFTY SERVEを繋げていてメールで日本の友達に依頼したこともあるし、出張なんかがあると機内持ち込みバッグは殆ど日本語の書籍だったりしたものだ。しかし、当時どうしても食べたい病に駆られた「駅そば」は送ってもらえない。出張したときに駆け込んで食べると1杯目は感動するのだけれど、途中でどうしてこんなものを食べたかったのか不思議になる。現地の日本語書籍の古本はいつまでもどこまでも流通したものだ。
 あれから読みたい本があると我慢ができなくなるという病気に感染してしまったといっても良い。大学の図書館はほぼなんでもあって実に有益である。出身大学は無条件でその図書館を使わしてくれるわけではなくて、セコイ事に大学のクレジット・カードを作れと云うのである。そういいながら引退した状況ではクレジット・カード会社は苦い顔をする。つまり現役バリバリの卒業生しか相手にしていないことになる。外国の公立図書館に行くと、閲覧室や公文書室、あるいはマイクロフィルム室なんかでこつこつ調べ物をしているのは殆どの人がリタイアした人たちである。そういう人たちの知識欲に充分応えられる公的図書館が羨ましかった。
 これで東京から離れられなくなる。そのうち、あれがあるから、これがあるからといっていたことをすっかり忘れてしまって、なんもしないんだけれど、離れられなくなる。決め手は何かというと出かける足である公共交通機関であり、余り歩けなくなってもちょっと頑張ればどうにかなるだろう生活の糧の入手ルートだ。
 本当は、表のガラス戸をガラガラと開くと吹き抜ける風が通り抜けるような海の見える家に住んで、竿とクーラーボックスを自転車に縛って防波堤に夜のおかずを釣りに行けて、前の小さな庭に作った野菜の煮付けを食べるような生活がしたい。しかし、ひとりになった時にそこで暮らせるだろうかと考え込んでしまうのである。元気なうちはきっと今の時代なんだからどこにでも暮らせるのだろう。しかし、私たちの世代になるとすぐそこにチラチラ見えているひとりで動きが鈍くなった時にどうするのか、ということなのだ。