ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

どうしても許せない 出でよ!

 年金の話はもう聞きたくないという気分になりつつある。あれを聞いてもこれを聞いてもむちゃくちゃで、「そんなことをしたらいつかはばれちゃう」というようなことも「それって嘘だろ」といったことを平気で、しかも関係者ははっきりとわかった上でやって来たというのが、今回はっきりした「報酬月額の改竄」だ。「払えないんなら払える額にしちゃいましょ」と云うことで「払った」という事実だけを確定させると云うことをしたということだ。
 公務員としてやるべき仕事だったのかといえば全くの話、正反対の方向を向いた、その場限りの仕事をしてきたということだ。いや、仕事と云うべきではないだろう。「反仕事」というべきかも知れない。本来の「仕事」のマイナスの方向に引っ張っていくということだったわけだから。
 「現場の判断でしたことだ」というのがこれまで良くこうした事態を収拾させる上での結論としてでっち上げて終われたことだった。しかし、厚生省・社会保険庁社会保険事務所が年金に関してこれまでやってきたことは単なる「反仕事」では終わっておらず、年金という社会保険加入者全員に対する長期にわたる、大規模な詐欺であって、だまし討ちであり、「反社会的」行動であることはもう疑いの余地がない。これでも霞ヶ関が「現場の判断でしたこと」で通過できると考えているのだとしたら、世の中舐めるのもいい加減にしろと云いたい。
 元社会保険事務所に勤務していた官吏のひとりが登場してその「反仕事」について告発していたけれど、元社会保険庁長官経験者、厚生省年金担当経験者に対する社会的告発をするべきではないのだろうか。
 こんな状況に陥れておきながら、自分自身は知らん顔で「仕事に邁進した人生でした」なんて満足顔で云いながら暮らしているのかと思うと割り切れない。いや、本当にそうして暮らしているかどうかは知らないけれどここまで来ても誰ひとりとして「実に私は浅はかだった。前任者からの申し送りをそのままにしてきてしまったのは間違いだった!」と独白するものすらいないことを考えると、彼らがそうして暮らしていると想像しても許されるのではないかと思うのだ。
 それにしても彼らがあまりにも稚拙な考えを続けていたという想像力の欠如した実態に愕然とする。その筆頭は小泉が「百年持つ年金だ!」とうそぶいていた頃に良く取り上げられていた元厚生高級官僚・保険局初代年金課長、花沢武夫の「厚生年金保険制度回顧録」(社会保険法規研究会、1988年、厚生省外郭財団、厚生団(現・厚生年金事業振興団)編集。4,700円)中での発言だ。「あんなの先の話だから」という話だ。その「先」の話が今の話になっているんだから、厚生省で美味しいものを戴いてきた連中はそれをここで吐き出していただきたい。自らの犯してきたとんでもなく大きな歴史的裏切り行為に対して真摯な気持ちを述べ、物理的にもその気持ちを表すべきだと思う。(こういう時に使うんじゃないのかねぇ「真摯」という言葉は。)
 出でよ!ひとりくらいいないのか、まともな元厚生省高級官僚経験者!