ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

NHKスペシャル

 12月15日の午後7時30分から総合テレビで放送された「セーフティーネット・クライシス2 非正規労働者を守れるか」が午前0:55から再放送された。出席者は厚生労働副大臣大村秀章日本総合研究所特別顧問・門脇英晴,反貧困ネットワーク事務局長・湯浅誠東京大学経済学部教授・神野直彦である。

 いつまで経っても自民党の大村はいわゆる与党政治家のスタンスから離れられない。個別のケースにたってのコメントは絶対にしない。それでは具体的な彼自身の考え方を表明することが出来ない。門脇は経営者側の代弁者としては非常に上手い人選だったのではないかということが出来るだろう。とても美しくオブラートにくるんでしまうという技を持っている。

 この番組の中でオランダのワーク・シェアを取り上げ(なぜここではワーク・シェアと表現しないのだろう。今ではこの名前は使われていないのだろうか)、消費税が19%(食品については6%・・・だったかな?)という高い率で所得税社会保険料も高い。しかし、派遣雇用の労働者も正規雇用労働者と同じような社会保険が適用されているから、今回の金融危機に遭遇して解雇される人たちも切迫した状況ではなさそうだ。

 ここでもこのオランダのシステムを構築するために労+使+官が大いに交渉に苦労してきたことが報告されていた。今回、労使間交渉によって労賃の削減に対し労働組合側も納得したという。

 日本では官+使が選挙を人質として繋がって労を叩きまくって知らん顔だといっても良いだろう。もちろん労の代表が全く力を失ってしまったという状況にあることがあって、バランスを欠いていることがとても大きい。この危機に際してかつてであればこんな議論の場に出てくるのは労組の代表だったのだけれど、彼らが隅々の労働者の支持を得るどころか「ダラ幹」と成り下がったことから官+使がグルになって作り出してしまった労働者派遣法ですっかり日本をぶちこわしてしまった。だから「史上最高の利益」をたたき出したという企業がその直後に非正規労働者を放り出すという暴力を平気で出来るという精神的構造にしてしまったということだろうか。

 これは文化の問題だろう。他人を放り出しても自分が守られればよいという考え方で企業を経営していて、それが当たり前だったのはもう随分昔の話だと思っていた。しかし、日本では企業が大きくなったとしてもそれは人間性を高めるために資することはない、ということだったのかも知れない。

「以下追記、上記一部修正しました 081218 10:12」


 住みやすい国というものは、一部の人たちだけが快適な生活を送っていて大きな格差が存在しているところではないと私は思う。ひところ「一億総中流」が語られた日本ではその意味を違うところで揶揄されていたと思うけれど、あれが本当にそうであったとしたならば最高の福祉実現社会だったといっても良い。企業は労働者もひとりの消費者であり、経営者もひとりの消費者なのだという意識を持つことが必要なはずだ。

 どうやら地方自治体の方が中央政府よりも現在の状況に対して即応力が見えているのは、ただマスコミが取り上げやすいテーマだからなのかわからないが、「大分市は、解雇された非正社員約50人を市の臨時職員やアルバイトとして採用する」そうだし、「大分県日出(ひじ)町も10人程度を臨時職員として採用」するとしていて、「大分県杵築市は、失業者にJA杵築市が募集している「春の七草」のパック詰め、ミカンの選果、トマト栽培手伝いなどを紹介」すると昨日の読売新聞が報じている。そういえば随分昔の話だけれど日系ブラジル人の集住地域として知られている群馬県の大泉に行ったときに自治体が現場での医療費を補填しているがどんどんその対象が増えてしまって困惑しているという声を聞いたことがある。中央がどんなことをおおっぴらにいおうと、現場では人の命を目の前にして法律を盾に拒絶することは甚だ難しい。

 こうして中央が建前をいつまでも振りかざし、それを支える資本のために奔走する事によって選挙を乗り越えることが目的化するのは選挙に金がかかり、選挙に当選すると大きな見返りが期待できるからに相違ないわけで、当選してから大きな見返りが期待できない制度を作るしか、この国を住みやすくする方法はないだろうと思うがどうだろうか。負担が大きくなったとしても、より快適に人生の最後までを過ごすことが出来る社会が構築されれば、成功だと思う。
 選挙を意識せずに、将来を考えるという作業が出来る。そうすれば市民の感情に振り回されない政策が立てられるだろうし、経営者に媚びない政策を立てることが出来る。そうなれば既得権を周囲の人間のためにも確保するために、才能も思想もない二世、三世がバラバラと出馬することもないだろう。しかし、今のままではいっかな変わることもない。年金を一本化しろ、という声があれほど語られたはずなのに、その後の事を聞かない。中央の議員たちは自分では何もすることが出来ないのが見えているのだから、これを正常に戻すのは、私たち有権者がさぼることを止める以外に方法はない。もし、半分にも満たない投票率という選挙を90数%まで持って行くことが出来れば、私たちの国のシステムは大きく変わるのではないだろうか。
 中央の議員たちは臨床的な対応をすることが出来ないのであれば、せめてマクロな対応を考えてみたらどうだろうか。大村君はこれに対しても「個別の対応についてはコメントしない」のだろうか。