天下りに関して新しい政令を出して年内に渡りを許さないことにするという。だったら前の中途半端な玉虫色の政令を撤回すればいい。民主党の細野がいっているとおりである。それなのにそれをそのままにしておいて「あとから出された政令が優先する」という麻生太郎のかわし方は普通じゃない。選挙に備えるという意味がここにはひとつあると思う。表面的に改革していくというポーズとして使うことができる。それでいて、霞ヶ関に一方的に泥を塗る結果とはならないやり方が後ほど取れるだろうという可能性を秘める。
こうした霞ヶ関の利潤に直接関わる事項についてのらりくらりの対応をすることによって開いている国会の時間とコストを無駄遣いしていることは明白だ。
私たちは賢くならなくてはならない。こうした状況変化を見ていくことも重要だけれども、目先のいい訳、逃れ方に振り回されることなく、綿々と(一時期の例外はあるけれど)続いてきた(私たちがそれを許してきた)自民党と霞ヶ関の明確な癒着を認識しなくてはならないということだ。人事院総裁と内閣との争いをみたら、自民党政権は霞ヶ関と戦っていると見えないこともないけれど、内閣は谷総裁の首を左右できる立場にいないんだというではないか。だったら果たして意味があるのか。例の省庁統合がただ単に看板の掛け替えに終わっている状況を見ればこの一件も実質的にはなんの変化も起きないだろう。私たちはこの程度のことでごまかされてはいけない。
石原慎太郎の「ちょっとは反省している」というひとことであの時も騙されてしまったことを忘れてはならないと思う。