ほぼ足りてまだ欲 その先

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この国の不幸

 有り体にいえば、あの戦争に敗れて東西冷戦の橋頭堡となって一部とはいえ気がついた国民が国会議事堂にまで乗り込んで反対した政策をごり押しして太平洋を越えてその存在を確保してきた。その流れはずっと変わっていない。どんなことがあっても変わらずに来た。私たちはその道を選択してきた。その挙げ句、その体制を死守することに汲々とする現状を作り出した。変革は怖い。その先に何が待っているかわからない。独裁者に振り回されていたとしても、そこから抜け出したときにどんなことが待っているのかわからない。少なくとも現状にいる限りにおいてはそれまでの価値観が維持される。これは一種のマジックだ。
 少なくとも安倍政権が参院選で負けたとき、私たちはひとつの選択をした。しかし、既得体制はこれを死守してきた。それは変革が訪れることによって明確に得をしてきた層がそれを失う危機を先延ばしにしてきたということだ。つまり、自民党公明党がその既得権を死守するために国民を謀ってきたということに過ぎない。その間、彼らはこの国を見捨てて自らの延命のみに汲々としてきたということだ。
 もう「百年に一度」という言葉には飽き飽きだ。年金制度についてもそういってきた、意味はまったく不明だったけれど。安倍、福田(まだましだったかも知れないけれど)、麻生の三人と、それにしがみついてきた自民党公明党は、小泉+竹中が文字通りにぶちこわしてしまった国民生活をそのままにこの国を、自らの面子だけのために振り回してきた。この国の不幸はその間、将来に対するろくなヴィジョンを描けないまま来てしまったことだろう。
 私たちは変革を決断するだろうか。
 私を含めた東京都民は石原慎太郎という為政者としては最悪の選択をしてしまった。彼は自分の考えを理解できない者は間違っているという専制的な考え方しかできない。私たちは彼の考えのプロセスも知らず結果だけを受け入れることを強いられている。それを受け入れるのか。
 建国記念日に考えるにはいささか寂しいが、これが現状だ。