ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

奥嵯峨

 なんでも京都に詳しい人から、嵯峨に行くのならば最初にバスで上まであがってしまえば良い、そうすればあとは下るばっかりだと聞いたとかで、嵐電四条大宮から終点の嵐山まで乗る。一両編成で殆ど都電荒川線のような雰囲気である上に、路上を走る部分がほんのちょっとあるところまで同じである。荒川線は端から端まで乗って160円だけれど、こっちはどこまで行っても210円で、帷子ノ辻から北野白梅町への分岐線すらあるのだ。
 嵐山に着いてみると周りはわんわんと人が湧いて出ているかと思われるくらいの観光地である。鳥居本までバスで上がるが一緒に乗っている人たちはもっと先の清滝まで行くハイキング客ばかり。私たちは降りるとなんだか置いてきぼりされたように、一体どこに行って良いのかわからない。500円で買った地図を見ると階段を下りて旧道に行くようだ。下に降りてみると有名な「平野屋」という茅葺きの古い建物がある。連れ合いによると米粉の「志んこ」が名物だというのだけれど、まだ今日はできていないと断られてしまう。

京都歩く地図帳 ’09-’10 (Jガイドマガジン)

京都歩く地図帳 ’09-’10 (Jガイドマガジン)

 しょうがないから下に降りると「京都市嵯峨鳥居本町並み保存館」という建物がある。ふらふらと中にはいると模型が置いてあって、どうやら私たちがバスで上がってきた通りは「愛宕山鉄道」なる鉄道が走っていたのだそうだ。そして私たちが降りてきた階段は鳥居本の駅へ上がり降りする階段だったという。そういえばそんな感じかも。
 化野念仏寺(あだしのねんぶつでら)にやってくる。拝観料は500円。小さな石の羅漢のような石がずらっ〜と並んだ西院の河原が目につく。中に入って写真を撮ってはならないと書いてある。水子地蔵の周りは板塀で囲ってあって参拝している人が見えないようになっている。
 竹林を抜けて祇王寺にやってくる。「平家物語」悲恋の尼寺というのが謳い文句の真言宗の庵。枯れた門、苔の庭、なかなか落ち着いた場所だ。ひょっとしてあそこで苔の手入れをされているのが尼さんなのだろうかとこそこそ話す。そういえば拝観料の300円を徴収している小屋にも女性がおられて男性を見ない。たくさんの種類の苔を見て、こんなに種類があるのかと驚く。
 小倉餡発祥の地と書かれた碑を見ながら私たちはそのまま清涼寺に降りていく。浄土宗の五台山(ごだいさん)清涼寺では毎年3月15日に松明式が行われる。私たちは夜の8時にまた上がってくる気にはならないが、やってくるとちょうど保存会の人たちが3基の松明を立て終わったところだった。この松明の位置は決まっているそうで、そこには穴が掘ってあるのだそうだ。私たちが本日に限って無料拝観ができる本堂を見て歩いて帰ってくるともう松明の周りにはロープが張ってあって入れなくなっており、今夜のための夜店のテキ屋の人たちが場所決めをやっていた。
 仁王門を左に取っていくと左側にそれはそれは大変に有名な嵯峨豆腐の「森嘉(もりか)」という店があってどんどん人がやってきては豆腐や、大きな揚げを買っていく。その反対側に「おきな」という名前の料理屋があってそこに上がってずいぶんと贅沢な昼飯を食べる。一昨日の蕎麦屋のご飯もここのご飯も、この日夕飯を食べた定食屋でもご飯が私にとっては軟らかい。なんだか水を足しすぎてしまったご飯のように感じる。連れ合いは実家が元々軟らかめのご飯だったからかも知れないが気にならないという。私は最近おかしくなってきてしまったのだろうか。そういえば咳は相変わらず続くしなぁ。もちろん飛竜頭も文句なしに旨い。どうやら今日の松明式のお弁当をこちらのお店では担当しているらしく、一階のカウンター席を全部使っていくつもの弁当の詰め合わせが始まっているようである。
 私たちは二尊院に戻る。天台宗の小倉山二尊教院華台寺は寺というよりもなんだか御所かお城のような門を入って、細かい砂利を敷いた比較的幅の広い参道を行くのだけれど、それが非常に変わったことに白壁に突き当たるのである。それを迂回すると本堂にたどり着く。これは非常に不思議だ。
 ここの境内に小倉餡の発祥の地碑があってその由来は「空海が中国から持ち帰った小豆の種子を栽培し, それに御所から下賜された砂糖を加え, 煮つめて餡を作った」ことが始まりなんだということらしい。残念ながら私はあんパンは漉し餡派である。
 工事中の落柿舎の横を通って小倉池の横を通り、トロッコの駅の上をよいしょと登り、竹林を下って天竜寺を北門から侵入。ここはもう大変な人出で、若い人たちがたくさんいる。奥まではさすがに上がってこないけれど、この辺までは来られるようだ。だから参拝の人も多くて、発堂から嵐山の駅方面に向かって歩いていくと参道横が駐車場になっていて人の流れと車の流れが重なって危ないっちゃありゃしない。
 妙智院の門の中に「湯豆腐」と書いてあって、へぇ〜こんなところで食べさせるのかなぁと思って入ってみるとそこはなんということはない「西山艸堂(せいざんそうどう)」という料理屋になっていて通り抜けができる。きっとこれまたあそこの豆腐だろうか。
 折角嵐山まで出てきたんだから、当然の如く渡月橋を見なくては画竜点睛を欠くという奴だと、河ッぷちまで出ていくが、いやいや、すごい人出で、挙げ句の果てに人力車がここでも跋扈しているようで、危なくてしょうがない。バスで街まで帰るつもりだったのだけれど、バス停の周りには随分たくさんの人が集まっていて、並ぶという状況ではなくて、中国式停留所に群がるアヒルたち状態で面倒くさそうだったから、嵐電、関東だったら多分「あらでん」と呼んだかも知れないが、こちらでは「らんでん」と呼んで、なんだか昔の相撲取りのようではある、で芸はないけれど戻ることにする。私たちが座って出発を待っているとそのうちどんどんお客が乗ってきて私たちの前に立ったのは東南アジアからおいでになったと覚しき若者たちで、彼らは広隆寺で降りていった。
 四条大宮の終点で降りてから、また裏道を辿る。四条・西洞院あたりにある「四条京町家」と書かれた暖簾が掛かっているところにやってくる。京都市伝統産業振興館とも書かれており、入場無料とも書かれているので「こんちわぁ〜」といいながら入ってみる。なんだか「京友禅・京小紋の無料体験フェア」と書かれている。すごいことをやっているのである。
 いわゆる保存された町家を見たのは初めてで、土間がずっと奥まで通っていて、五右衛門風呂があり、裏には庭があって蔵が建っている。庭に立ってみると高層マンションで囲まれている。なかなか上手く写真は撮れないが、興味深い。
 すぐ隣が最近あちこちに見る定食屋があったので、そこにはいって夕食にした。焼き鯖、里芋といかの煮物、ほうれん草のお浸し、やっぱり軟らかいご飯、白味噌の私にはちょっとしょっぱい味噌汁。疲れ果ててぐったり寝る。