ほぼ足りてまだ欲 その先

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郵政公社ー日本郵政株式会社

 古い組織の時に行われた不正であるから今の組織の長に責任はないんだ、という今回の自民党内における論調はある意味、自民党的論理からいえばずれていないということかも知れない。今その全貌がどこまで明らかにされるのかどうか殆ど解明されていない障害者団体を舞台にしたDM不正料金使用事件である。根本的に問題となるであろう政治との繋がりを摘発していくと自民党に繋がるのか、民主党に繋がるのか私は知らないけれど、少なくとも郵便と霞ヶ関の間に問題があったことは既に明確になっている。
 これは日本郵政株式会社ができる前の問題だったんだから現民間会社の長にはなんの問題もないというのは、あたかも八幡製鉄や富士製鉄時代にあった問題を現新日本製鉄株式会社が組織が違うといってわれ関せずという態度を取るのとまったく同じである。例えば戦時中の労働力について、今の新日本製鐵とは何ら関係がない、といったとしたらそれで世の中は通るのだろうか。
 例えば骨髄移植推進財団の前常務理事のパワハラ、セクハラ事件について現常務理事がそれは前任者時代の問題であってわれわれは一切なんの関係もない、といったとしたら世論に勝てるだろうか。それをきちんと認識できていない現体制が如何にずれているのかという点は周知の事実である。
 時代は変わってきている。その点について小泉—竹中—西川—宮内といったグループはそれを理解していないし、それを後押ししている自民党内の論調はたかだか小泉—竹中の影におびえていて、みるからに正義をおざなりにして力の論理だけに熱中しているとしか思えない。彼らは政治屋のゲームに固執しているだけに過ぎない。今ここで西川善文のクビをすげ替えたからといって何が変わるというのだろうか。郵政株式会社そのものの経営方針というのはそんなに簡単に梶を切られてしまうというのだろうか。全株を保持しているのは一体誰なのか。こうして考えるとこの株式会社がこの体制を続けるために誰が儲かり、誰がおいしい目を見るのか、予想するのは簡単だ。西川を頂点とする神戸人脈によってどこで金を生み、どこへその金がまわるのか、という点を追求して見せることがマスコミがやらなくてはならない役割の筈だ。なんといってもオリックスに対しての売却の入札に関する説明のあの誤魔化しきれなかったうろたえ振りそのものが既に問題だったことを今また想い出す必要がある。
 郵便局が「かんぽの宿」を赤字を出しながら経営してきたその根底には簡保経営全体を見た上での赤字だったはずである。これは失業保険、健康保険、年金の積み立てを使ってじゃぶじゃぶ費やしてきた赤字とはまったくその性格が違うということをきちんと説明して行かなくてはならない。
 そもそも、「日本郵政株式会社」というホールディング会社の名前ははなはだ間違っていると思う。なんで「郵政」なんだろう?なんで「日本郵便」グループじゃないんだろう。英文名称は「JAPAN POST HOLDINGS Co.,Ltd.」ということになっている。

  • 郵便事業株式会社は「Japan Post Service Co.,Ltd.」
  • 郵便局株式会社は「Japan Post Network Co.,Ltd.」
  • 株式会社ゆうちょ銀行は「Japan Post Bank Company, Limited」
  • 株式会社かんぽ生命保険は「Japan Post Insurance Co.,Ltd.」


 それぞれの英文名称を見るとその概念はもっと錯綜するような気がする。この郵政公社を民営化するときに明確な概念を整理して考えてきたのではないんだろうなぁと愚考する。
 これを民営化(具体的な表現をするならば、私物化)することによって何を変えようとするのか、公営事業として続けることによって発生する弊害が何で、それを民営化することによってどのようにこれを解決することができるのか、ということを今ここで小泉ー竹中は総括してみせる義務を負っているはずであって、ただ自らの論拠を守るだけであってはならないのだろうと思う。