ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

三保に

 時々読ませていただく電脳六義園通信所と題した(多分)装丁作家および文筆家の方のブログに清水の山下天丼店の話が出ていた。このお店の名前は昔から知っていたんだけれど、清水で暮らしていた合計8年半の間、私はこの店に一歩も足を踏み入れた記憶がない。子どもの頃の3年半は住んでいたところが三保だったこともあるし、ひょっとすると岡山出身の両親は天丼というものに興味がなかったのかも知れない。そうして考えてみると子どもの頃に天丼を食べたのは数えるほどしかなくて、それはみんながよってたかって食べる鰻丼を、あの食感と皮の側のヴィジュアルが嫌で食べられなかった私だけがその代わりに天丼を食べていた、という情景でしかなかったのだ。つまり、わが家の5人のうち他の4人が鰻丼を食べているところで、多分私だけがその店では邪道である天丼を食っていたんだと思う。しかし、そんな店っていうのはどうやら大した店ではなさそうだ。
 大人になってからの5年間も三保には住んでいたけれど、当時清水銀座にあった夜来香には足繁くいっていたんだから、市役所の傍にある山下天丼店にいっていても良さそうなものだけれど、殆ど記憶にない。多分車を駐めるところを探すのが面倒くさかったのかも知れない。
 山下天丼店を検索してみたら、今や三保にもあるらしくて地図で見ると昔の駅に近いあたりにマークがついている。当時だったら散歩のついでに食べにいけたのになぁと急に懐かしくなる。
 そういえば先日東京駅の八重洲南口にさしかかったときに折戸車庫行きの高速バスが今にも「行くぞっ!」と走り出しそうにしていたのを見て、「あぁ、これがうわさのバスかぁ」と見上げながらもう既に乗っている自分を頭に描いていた。
 しかし、折戸車庫と聞くとどうしても小学校4年の時に中古の子供用の自転車をとうとう手に入れて、すぐ上の姉とふたりで草っぱらの中で乗れるように練習をした冬を想い出す。うしろの荷台を支えて一緒に走り、す〜っと自立して走り出したときのモクモクっと大きな子どもに成長したようなあの気持ちが懐かしい。そういえばあの草原はなんで背の高い一列に並んだ大きな木で囲われていたんだろうか。
 あのボロボロの子ども自転車で三保街道でこけてしまった時に後ろに乗せていたゆり子ちゃんに申し訳ないことをしたと思うが、彼女は今でも覚えているだろうか。
 ところで山下天丼を検索しているうちにこちらのブログに遭遇し、三保街道の写真を見せていただくと山下天丼店三保支店の看板には「天ぷら・うなぎ」と書いてあるのを発見。こうして考えるとひょっとしたら私以外の4人が鰻丼を食べ、私が天丼を食べたのは山下天丼店本店だったのかも知れないという思いに駆られる。
 この方のブログのコメント欄に「清光堂」という写真屋の名前が出てくる。ここが私が当時持っていた子ども騙しのようなカメラのフィルムを買い、現像して貰い、もう少し経っておふくろの蛇腹のカメラの管理を任されてそっちのロールフィルムを買っていた店だ。この方のブログを見なかったら、この写真屋の名前を想い出さなかったことだろう。そういえば塚間には「ヒロシカメラ」という店があったなぁ。