ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

東京文化会館

 多分40年ぶりくらいで上野の東京文化会館に入った。ボリショイ・オペラではなくて小ホールの「アンサンブル・コルディエ」である。実は40年ぶりに入るのだということは最初からわかっていたのではなくて、ホールに一歩足を踏み入れて初めて「あっ!」と気がついたのである。その時は、今は某大学で教鞭をとっている2歳年下の友人が師事していたクラッシック・ギターの先生方のリュート演奏会という、それはそれは随分コアなものだった。
 そんなことを思い出すこともこれまでなかったのだけれど、このホールに足を踏み入れて初めてよみがえってきたのだ。先日の学生の頃の友達との呑み会でもそうだったけれど、自分ではいっかな思い出せないことも、全く違う人の話から、あるいは当時いったことのある場所に遭遇してみて初めて思い出す、ということがあるものだ。
 上野といえば東側から西側にとても幅の広い自由通路ができているのだけれど、あそこも相当複雑な状況だ。誰かを待っている人がいる、スケボーをガッタンガッタンさせている若者がいる、そうかと思うと今夜一晩は確実にここに滞在するんだろうと思われる人たちもいる。人の声はほとんどしないんだけれど、気がつくととても多くの人たちが両端に座って声にならないざわめきを含んで夕まぐれ時をすごしている。
 演奏はすばらしいものだった、というか、日頃クラッシックスのコンサートに足を運んだりしない私がなんだかんだいったって全く説得力はないし、評価するなんておこがましい。しかしながらよくはわからないのだけれど、アンサンブルのすばらしさ、曲目のたおやかさ、なんてものを十分に楽しませていただいた。しかし、日本の聴衆の皆さんはスタンディング・オベイションなんてことはなさらないらしいこともわかった。
 後半はヴァイオリニスト・スークの祖父にあたる(こちらもJosef Suk)の「Serenades for Strings op6 Es-dur」で、何もわかってないながら、この曲はまた音源を探して聞きたい気持ちになる。
 演奏が終わってでてくると隣の大ホールはボリショイ・オペラが休憩の様で、ロビーに一杯の人である。何しろ最低でも1万円、高いところは4,2万円という入場料である。世の中、どこが不景気なんだか全くわからんなぁという気にさせられ、考え込みながら歩いて帰る。しかし、よく考えてみたら、このオペラに押し寄せる人の数と景気・不景気とはほとんど関係がないのかもしれないのである。なぜかというと、このたぐいの催し物にやってくる人たちの大半は既に持つものを持って、つまり功成り名を遂げている人たちだからなのだ。この人たちは経済状況がとてつもないインフレに陥らない限り、あと20-30年の残りの人生を考えればいいという状況であり、今この時点の景気状況によって日々の暮らしの糧が大きく増減する世代ではないからなのだ。だからどんな経済政策がとられようと今の政治基調が続きさえすればかまわないという訳なんだろう。なんだか治外法権の場所に紛れ込んだような気がしてしょうがないのだけれど、ほっとする空間であることも事実で、う〜む、人間は複雑である。

スーク&ドヴォルザーク:弦楽の為のセレナード

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