ほぼ足りてまだ欲 その先

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mud pit

 たまたま開けっ放しだった窓から強い風が吹き込んで目が覚めたのが夜中。どうも変わった夢を見ていて(いつものことだけれど)、実はツアーの残りがまだあって、歩く人はこの時間にここに集合で、より難しいコースをとりたい人はこっちの時間にあちらに集合だという連絡があって、どっちの選択にしようかと迷うところだった。
 久しぶりにTBSテレビの「CBSドキュメント」のスイッチを入れたら、最初の話題はエクアドル原油開発に伴って作られ放置されたmud pitの話だった。
 この「マッド・ピット」というものは原油を掘削する時に掘削している先端のビッド(刃先)の摩耗を低減させるために簡単にいえばある種の泥を水と一緒に刃先に突っ込んだものを回収したものを貯めておく、いわば底なし沼のようなゴミ溜だ。原油にぶつかった時には当然噴出する原油もここに入ってくる。ジェームス・ディーンの映画なんかだといっ発当てたぞ、イェ〜イってんで噴出する原油が富を象徴するというところで終わってしまうけれど、現場は実はそんな簡単な話じゃない。
 エクアドルの場合はペトロエクアドルシェブロンの合弁事業として原油開発がされた訳だろうけれど、当時は誰もそんな開発で後年問題になるであろうダメージについて語ったりしなかった。なにしろ取り出せる富にしか目がいかない。後年になってそのコンペンセーションが実に問題になってくる。
 中東なんかの砂漠のど真ん中の原油井戸だとそのマッド・ピットの上に風で砂が乗っていて、何も知らなければ車で乗り込んでしまって人知れずそのまま底なし沼にずぶずぶと沈んでいってしまうという危険がないとはいえない。実際にそんなところに乗り込んでしまった奴を知っている。
 鉱物資源を使える形に取り出すという作業には確実に何らかの人体、あるいは人間社会にダメージを与える行為が伴うようだ。しかし、一発当てて儲けるという作業の中にはそのへんの負担部分が含まれない。概ね、プラスの部分だけとってしまってとんずらである。金・銀・銅の製錬でも、亜鉛の精錬でも、ほら、あの水俣病の要因を作り出した企業だって今でもとんずらを政府の力を使ってはかろうとしている。シェブロンはあの原油開発はシェブロンが担当したのではなくて、ペトロエクアドルシェブロンの合弁事業隊が担当したんだと。便利にするには人間社会を不便にするものも同時に作り出す。でも、不便にするものには目をつむる。私もだ。