ほぼ足りてまだ欲 その先

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横浜

 私は横浜の高台で生まれて下の方に引っ越し、11歳から13歳までの3年半は離れていたけれど、23歳まで横浜に暮らしていた。ま、いってみれば自分の意志で暮らしていたのではなくて、親が住んでいたから暮らしていた。これが故郷(ふるさと)、という奴なんだろうと思うのだけれど、妙に執着心がない。それはもう親が他界してしまっているということもあるんだろうが、そこから離れてもうそろそろ40年にもなろうという時間の流れがそうさせるといっても良いかもしれない。
 横浜は今年開港150年だといって様々なイベントをやってきたらしい。らしいというのは全くもって情報をとろうとしていないからだ。それというのも概ね、そうしたイベントが開催されるのは私が暮らしていた時には存在もしていなかった地域だからだ。みなとみらい21なんていわれても、私が仕事でいった頃はできたばかりで、あっちもこっちも空き地だった。
 全くもって私には未体験な地域である。それが「ふるさと」なんだよ、といわれたってそんなものは受け入れられないのは無理もないだろう。そんなとこ、しらねぇよ、というしかないのだ。赤煉瓦なんていわれたって、あの辺は子どもがいくところじゃなかったし、アルバイトで歩いていた頃だって、必ずその辺に重油の匂いがして、腐ったゴミの匂いがしていたんだから、足を踏み入れる気持ちにもなれない。行ってみればたぶんものの見事に様変わりしていてとても面白いスペースになっているんだろう。でも私はもう既によそ者と化している。とてもその変化を受容できかねる。そんな小心者なんである。
 三菱重工がまだ船をあそこで造っていた頃、京浜東北東横線の高架の向こうは立ち入り禁止地域だったし、ガードの下は全面壁で全くその向こうは窺い知ることもできない、実に殺風景な景色だったのだ。東横線の窓から見えたのは全面灰色の世界だった。そして高島町の駅は降りたいという気持ちが子ども心には全く起きなかった。鶴見線国道駅に降りた時にどこかで見たような気持ちがしていたのは多分高島町の駅だったのだろう。
 あそこは横浜ではなくて、私にとってはやっぱり三菱村なんだな。