ほぼ足りてまだ欲 その先

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8月15日

 今年も「敗戦記念日」がやってきた。比較的乾燥した快晴の朝である。よくいわれる事だけれど、正確にいうと日本の敗戦が決まったのは戦艦ミズーリー号の甲板で、連合各国の代表が(欄を間違えた奴がいて、何ともみっともない署名簿とはなっているものの)連なって署名をしたあの日であるけれど、私の気持ちとしてはこの日が日本が自分が陥っていた病気に気がついたそんな日だ。
 帝国に命を捧げ、散るために生まれてきたのだ、という思想に犯されていた、そしてそのように洗脳されてきた状況に待ったがかかった、記念すべき日だという事だと思っている。イスラム原理主義が若者を洗脳して自爆テロに走らせている状況は一体いつになったら待ったがかかるのだろうかと、あの日に重ねて考える。首領様を崇め奉り、核を持つ事が首領様のご意志だという思想にいつ待ったがかかるのかと、これもまたあの日に重ねて考える。
 今ここにある自分の命は一体何のためにあるのか、ということを考える日にするために、昭和11年以降昭和20年のこの日までにどんな思想をどのようにして植え付けていったのかを私たちは検証し続けなくてはならない。それをおざなりにして、どんな思想も自由な世の中なんだから、子どもの教育にどんなやり方をしても自由なんだと、あの頃の思想を賛美してはならないと思う。それは自己満足であれば許されるだろう。それをあとに続く世代に押し付けていくのは許されるべきではないだろう。
 歴史は繰り返してはならないのだという事を深く心に刻み込まなくては、あれだけの人たちが犬死にしてしまった事の取り返しがつかない。道ばたの草を喰い、歩けなくなってしまった人たちに手榴弾を手渡し、殺してくれという人に銃を向け、そうした話を60年後になってようやく唇を噛み締めながら苦渋の声にして漏らしてくださる人たちに申し訳がない。それでも未だに皇国、皇民という言葉に酔い、帝国は亜細亜諸国に独立をもたらしたと植民地帝国主義に酔いしれる輩に教育を語る資格などありはしない。