ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

9月1日といえば

まずは関東大震災である。

 あれからもう86年も経つからもう覚えている人もとても少ないんだろう。私が知ることができるのはもう書物かテレビで流されるほんのわずかの限られた映像でしか窺い知ることはできない。当時は当然のことながら建物でも3階以上のものは大変に限られていたけれど、いかんせん火災は激しいものだったようだし、近年の地震被害を見ても、重たい瓦屋根で潰れていた家々の累々たる惨状は忘れられない。
 霞ヶ関ビルが建つまで東京都内にも10階を超えるようなビルは殆どなかった。この国では何しろ地震があるんだからそんな高いビルを建てるわけにはいかないんだというのが常識だったし、既成概念として存在していたから、米国に遊びに行ってみるとNew Yorkを初めとして中心街には空を見上げる高いビルが当たり前のようにそびえていて、今から考えてみると欧州でカソリックの教会がおどろおどろしいほどの圧倒的な規模でそびえたつのと同じように、米国の巨大な力を見せつけられるような気がしたものだった。
 それが柔構造の考えが普遍的になってきてからというもの、東京のあっちにもこっちにも何十階というビルが当たり前のようににょきにょき伸びてきて、住宅だって30階を超えるような建物を官庁が平気で建築許可を出すようになってきている。そんなものが隣に建ってしまったら圧迫感で気持ち悪くなりそうだといったって、そんなことは地域住民のエゴでしかないとあっさりと葬り去られてしまうのである。
 こんなビルをあちこちに建てたりして本当に大丈夫なのか?という疑問は常に頭から離れない。あんなガラス張りの、しかも30階にも及ぶビルをこんな地震大国に建ててしまって、本当に大丈夫なのか?という疑問を持つ人がいないはずがないと思う。でも、ごく平然と暮らしている。そのビルの建設現場には必ず2-3本のクレーンが建っている。建設工事中に地震が来たら大変なことになるから、そのクレーンも欧州の建設現場で使っていたようなシステムでは危なっかしいので日本国内ではなかなか許可にならなかったのだけれど、最近では現場に通りかかってみるとずいぶんシンプルなクレーンが稼働しているような気がする。あれで本当に大丈夫なのか?
 高層ビルの話にしてもその建設用クレーンにしても、本当に大丈夫なのだろうか。いやいや、大きな地震が来たらあっちもこっちも崩れてしまうんだろうけれど、その時に崩れるのはうちがやったビルだけじゃないからそんなに問題にはならないだろう、というところなんだろうか。それとも建築許可を下ろした役所は建前からいっても絶対に大丈夫なんだとそれでも主張するのだろうか。あるいは本当に(というのは変だけれど)大丈夫なのだろうか。

そして9月1日といえば新学期。

 私は計画的に生活を組み立てることのできるタイプの人間ではない。そんな性格というのはここ最近急に醸成されたものなんかではなくて、おぎゃぁと生まれ落ちた時から明らかに持って生まれてきたんだと思わざるをえないものなんである。なにしろ小学校に入った時から私が常に担任の四宮先生から毎日聴かれていたのは「忘れ物はないか」という言葉だった。学校に行くためには、あるいは家に帰るのには、まず何をしなくてはならないのかという計画が立てられない。その場でばたばたとやることによって周りを巻き込みどうにかして乗り切ってきた。
 それはいつまでも変わらないわけで、それは今でもそのまま続いている。だから当然夏休みの宿題というのは下手をすると8月31日の夜まで泣きながらやるということを毎年毎年繰り返してきた。普通の人はそれに懲りて翌年は気をつける。私はそういう向上心とか、懲りる、といういわゆる学習能力が著しく欠落している。
 夏休みの学習帳、絵日記、読書感想文、観察日記、ドリル、工作くらいのものだったような気がするけれど、最後の2日間くらいでその殆どを済ますのだからこれはちょっと容易ではない。だいたい工作なんてものはいつまで経っても状差しを作って持って行く。いったいいくつ作ろうってのか。5年生の時は泣きながら作り、これを焦がして束子で磨くなんていう小賢しいことをやったことを今でも忘れない。
 天気予報をさかのぼって調べるというのは大変だった。絵日記に書くわけだけれど、自分一人では25日前の天気と出来事を思い出すのは大変だ。だから、周りに聴く。「ねぇねぇ、あの日どこか行ったぁ〜?」 そんなにしょっちゅうどこかになんて行くわけがない。だからヨーちゃんのうちに遊びに行ったことにしたり、しげちゃんとワンバン三角ベースをやったりしたということにしてしまえばいいのだけれど、肝心の天気まで作るわけに行かないのだ。今だったらネットで全部調べられるというのに。
 ほんとーにあの頃、新学期はいやだった。