ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

伊勢佐木町

 最後に伊勢佐木町を歩いたのは一体いつのことだろう。多分鶴見で仕事をしていた頃のことだから、16-7年前のことかも知れない。野沢屋(最後は松坂屋)はもう既に店を閉めている。シュウマイの博雅はもうどこにあったかも思い出せない。今では横浜高島屋の地下総菜売り場で買えるのだそうだ。それでも有隣堂と不二屋はまだある。どうやら「ゆず」以来この界隈はストリート・ミュージッシャンのメッカと化しているんだそうだ。私が子どもの頃、つまり半世紀ほど昔は桜木町から歩いてやってきた。今は根岸線があるし、地下鉄だってある。
 ビルの6階にあるライブハウスに先輩たちのハワイアン・バンドが出演。二年前に再結成したという話は以前にお伺いしていた。前回は地元の行事と重なって行かれなかった。このバンドのメンバーとの縁は実に濃い。ギターとウクレレのご兄弟は小学校の頃から近所で遊んでいたというつながり。もう一本のギターは高校の同期生、ベースは毎年ご一緒する。スチールの方とバイブの方もここのところ毎年のようにお会いしている。ご連絡をいただいた先輩はサックス、フルートの方で、何度もお会いしている。パーカッションの方も学生時代から何かというとお世話になった。
 つもる話はいくらもあって、きりがない。いつまでも話すことがある。
 京浜東北でえっちらおっちら関内まで行こうとしたところが東京駅に電車が着くやいなや「新橋駅でお客様の鞄が挟まれ、現在点検中です」というアナウンスが流れて、あ、これはしばらく動かないな、と判断してすぐさま飛び降り、東海道線で横浜まで行く。昔は東京-横浜間が30分たっぷりかかっていたけれど、今は25分ほどで走っている。なんで早くなったんだろう。車両が軽くなったから?そういえば昔は東海道線は川崎には停まらなかったなぁとずいぶん古い話を思い出した。
 帰りは関内からそのまま京浜東北線に乗ってえっちらおっちら帰ってきた。はっと気がついたら降りる駅にちょうど着いたところで、爺さんらしく「あ、すんません」といいながら慌てて降りる。すると目の前に山手線の例のチョコレート色の(かつての車両色の再現といっているけれど)明治製菓のチョコレート宣伝編成車両が通る。あわねぇなぁと思ったらこんなところで逢う。
 構内を歩いていると向かいから土曜日の深夜にスーツを着たお年寄りがもう全く足取りおぼつかなくよろよろと来るのだけれど、右手に鞄を提げ、左手はそのバランスを取るかのように伸ばして泳ぐようにしてくる。いつバランスを崩すのかわからない危うさがあって通り過ぎるこちらとしては緊張感を感じる。彼は無事に家に辿り着いたのだろうか。それともどこかの駅で最終を乗り逃がして途方に暮れていたのではないだろうか。そうだとすると日曜日の朝をどんな気分で迎えたことだろうか。あぁ、またやっちまった。もうだめだ・・と思ったのだろうか。それとも、いつものことだと、痛い頭を支えながらコップの水をごぶごぶと飲み干したのだろうか。