ほぼ足りてまだ欲 その先

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徳島 裁判員裁判

 昨日から徳島での二例目になる裁判員裁判が開かれていて、今日が二日目になるのだそうだ。判決を最終日である20日(金)の午後4時と予定しているそうだ。
 そこで裁かれている事件は今年の5月11日に鳴門市の海岸で頭部と両手足が切断された男性の胴体部分の遺体が発見されたところから報じられた。二日後に被害者は大阪の33歳の男性だと判明し、62歳の父親が逮捕された。
 一体何で父親が息子を殺したんだろうかという点で引っかかっていたのだけれど、もうひとつはこの父親が私と同世代であったことも自分に照らし合わせて考えてしまったこともある。
 事件報道を見ると父親が「息子の家庭内暴力に悩み、将来を悲観してやった」と警察で答えている。家庭内暴力に至るには背景があるはずだ。その背景がなんだろうかと疑問に思ったけれど、その後の報道を私は捉えられなかった。
 それが今回の裁判員裁判の報道でわかった。
 被害者である息子はどうやら長いこと統合失調症を病んでいたようだ。それだけではなくて2008年5月に女性に抱きつき、押し倒してけがをさせる事件を起こし、朝日新聞徳島版の記事(2009年11月17日)によると、「今年の2月に大阪地裁で強制わいせつ致傷の罪で懲役2年6カ月保護観察付き執行猶予5年(求刑懲役3年)の判決を受けていた。当時も統合失調症を患っていたが、裁判所は刑事責任能力があったと認定した」という過去がある。同記事によると「医療観察法」は不起訴や無罪、心神耗弱のために減刑になった者に限られ、彼はこの事件でも責任能力ありと見なされたため、対象外とされて、家族のもとへ戻されたという。家族にとっては実に辛い状況である。
 父親は「息子の統合失調症が治らず、将来を悲観した。家族のために殺すしかないと思った」と警察で語っているそうで、徳島新聞(2009/11/18 14:45)によると「大阪府の池田小のような事件を耳にすると、息子もこういう事件を起こす可能性は十分にあると思い、それが一番心配だった」と振り返り、妻に聴かれたら「友達と一緒に住むようになった、とうそをつくつもりだった」と語り、「身辺整理をしてから自分も後を追うつもりだった」と語ったと伝えられている。
 私はこの問題はとても大きな問題だと思っている。これまでにも精神障害を病んでいると思われる犯人、あるいは知的障がいを抱えていると思われる犯人による事件が起きているけれど、被害者側の気持ちを考えてその当時の犯人の刑事責任能力はあるという判断に傾いているような気がするということにもある。
 しかし、それよりも上にあるような「医療観察法」等の、そうした人々をケアしていくシステム、考え、環境作りはただただ現場のソーシャル・ワーカーの個人的な努力だけに頼ってそのままになっているように思えてならない。現場そのものを知りもしないでいうなといわれてしまいそうだけれど、どう見ても社会全体のあり方からいったら今でも「臭いものにはふた」という状況の中に放置されているように思えてならない。
 こういう事件が裁判員裁判で裁かれるというのは如何なものかという思いもあると同時に、現在の法令に如何に準じて裁くかという法のための裁判なのかどうかわからなくなってしまう従来裁判でないだけ、より争点が浮き彫りになるのかもしれないという期待もないではない。しかし、これだけの期間ではそこまで突っ込んで語るというわけにはいかないはずだ。
 八ッ場の問題は大きく報じられているけれど、こっちの問題も本当は同じように大きく語って貰いたい。