ほぼ足りてまだ欲 その先

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悪い奴

 日本では起訴された人の殆どが有罪になる。ほぼ間違いなく有罪になる。起訴されたらもうおしまいのようである。ということは検察が有罪無罪を判断していることになってしまって裁判の役割というのはその後追いでしかないということになってしまう。
 小沢一郎事件、和歌山カレー事件、足利女児殺害事件、志布志選挙違反事件、高知白バイ衝突事件、熊本の知的障がい者死亡事件、御殿場暴行事件そして今度の郵政不正事件を見てくると、この国の警察-検察-裁判-警察記者クラブという各組織におけるフェアネスというものはどんな倫理観から成り立っているんだろうかと恐ろしい。
 かつて働いていた企業で、地方の支社が絡んだ贈収賄容疑で社員がひとり逮捕された。逮捕されたという情報が入るやいなやある新聞社の社会部記者だと称する男から電話がかかってきた。「あのさぁ、あんたの会社の悪いことして捕まった奴がいるよねぇ、そいつの住所を教えてよ」というのである。この男が果たして確かに名乗った新聞社の社会部の記者なのか、あるいは語っているのか、電話では全く判断のしようがない。それに逮捕されただけで、まだ起訴されているわけでもないし、裁判が終わったわけでもないんだから「悪いことをしたのかしていないのか」未だに明確になっていない。その時点で「悪い奴」と彼はすでに断じている。ここには警察の行動は常に正しいと信じて疑わないマスコミ社会部の姿勢がある。尤もその電話が本当にその社の記者からのものだったかどうかはわからない。
 翌日の各紙社会面にその社員が贈賄容疑で逮捕されたことがもちろん会社名入りで報じられた。後日彼は結果としては不起訴になった。つまり容疑は間違いだったことになる。ホンの2-3紙が一段ベタ、ほんの数行の記事で、「不起訴」を報じたのみである。その「悪い奴」記者から申し訳なかったという電話がかかってきたわけがない。
 検察のスタンスをここで明確にするのは現政権として必ずやらなくてはならない局面だけれど、マスコミがこれを打破できるかどうかというのはより問題が大きい。新聞は自らの首を絞めるのか、あるいは大きな時代を作ることができるかどうかである。もうテレビには期待していない。
 昨日の大阪地方裁判所における村木厚子裁判の第11回公判の模様はこちら