ほぼ足りてまだ欲 その先

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普天間移転

 5月一杯に結論が出なかったら鳩山由紀夫は首相を辞任しろ、あるいは辞任するべきだというのが当たり前の結論のように新聞でも、ラジオでもいわれているように私には見える。今内閣支持率がぐだぐだになってしまっているのも、ひとえに普天間移転について民主党がはっきりしなくて、あぁだ、こうだといっていて、とどのつまりは現状の辺野古移転案しかないんじゃないかという推論が大勢を占めているからだろうともいわれている。
 しかし、どうしても納得がいかないのが、じゃ、なんで戦後64年間沖縄にあれだけの基地施設を集中させてきた自民党政権に対して、そのままに放りだしてきていたのをなぜかと指摘して来なかったのだ、という点。彼等は辺野古移転の調整のために十数年を費やしてきたんだというけれど、実はそうではなかったはずだ。触るに触れなかった。しかし、さわっては地元の反対運動を弾圧してきていたことは知られていたけれど、それを非難する報道が大勢を占めていたかといったらこれは全く異なっている。
 国外へ、少なくとも県外へ、と主張したから政権を得ることができたんだ、というのはほぼ沖縄県民だけが主張できることで、それ以外の国民はそれを条件として政権を交代させてきたわけではないだろう。ましてや、「こっちを使ってよ」といった都道府県はひとつもない。あ、正確にいうとないわけではないが、本気にされていない。
 米国が地元住民が反対しているところにはいかないと表明したというニュースが一度は流れているからそうなのかもしれないけれど、それだったら日本国内には移転できるところは辺野古も含めてないということになる。
 硫黄島ではなぜいけないかというのは、基地配置についている米軍将兵のエンターテインメントも何もないからだといわれている。これが日本では「軍隊ともあろうものが、そんなものなくても良いではないか」という怒りを買う。ここが決定的に日米の軍隊に関する考え方の決定的な相違だろう。何しろ日本では大日本帝国陸海軍の軍隊の考え方がそのまま残っているといってもかまわないだろう。ま、いってしまえば今ある自衛隊という軍隊はそもそも憲法違反の存在であるし、警察予備隊が創設された時に多くの旧帝国陸海軍将兵の生き残りが組み込まれたことは旧知の事実だから、こういう落とし穴に落ちやすい。
 「大本営参謀の情報戦記—情報なき国家の悲劇」堀栄三著 (文春文庫)によると南太平洋諸島での日米の補給線は日本側だけが伸びきっていたわけではない。米軍ももちろん本国から遠く離れていた。にもかかわらず米軍は、兵に供給するためには地域に三ヶ月分、米本国内に三ヶ月分、輸送途上に一ヶ月分が必要と規定していたという。もちろん物資が豊富にある国だからそれができるわけで、四カ国に包囲されていた資源を持たない国はそんなことができるわけがないのだからそれはしょうがないという考えはあるだろう。
 その当時に立ち返って考えなくてはならないのだろうけれど、それは別にして本来的にはそんな状況であそこまでの遠距離にまで前線をのばすというのは客観的に考えたら無謀以外の何物でもない。大和魂か根性でそれを乗り越えるのが闘いなんだというのであれば、それこそが多くの国民を死に追いやった考え方だといっても良いだろう。
 だから、硫黄島に基地を構えることを米軍は認めないということになるのだろう。
 私は米国政府に対して、日本の声をきちんと説明する必要があって、日本のマスコミはその方向性での報道をするべきだと思っているのだけれど、現実は米国側の反応を「憶測」で報じ、解決策を見付けられない半年の政府を糾弾に向かっている。
 最終的には私たちは米軍基地の不要論を主張していくべきなんだろう。フィリッピンから米軍が撤退したのが東南アジアにおける紛争のタネがほぼなくなったことが要因なんだとすれば(単なる憶測だけれど)、日本における米軍基地の存在というのはひとえに半島の北半分があるから、ということであるだろう。