ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

普通の存在

 近頃昔の職場の同僚たちや、学生時代の知り合いや友人に出会うと、次から次にみんながリタイアしだしていて、いよいよ様々なことをやろうと準備に取りかかっている様子が垣間見えるようになってきた。ブログに手を染めようとする人たちも格段に増えてきた。
 私は10年ちょっと前に現役を辞して、単なる市井のおっさん兼いち学徒となってから、行く先行く先で、なんでこんな時期のこんな時間にこんなところにいるのかという質問に遭遇し続けていた。その度に「ちょっと考えるところがあって」というようないい加減ないい方ではぐらかしてきた。
 しかし、ようやく今やどんなところにどんな格好でどんな時間に登場しても誰からも「なんで」という質問を投げかけられなくてすむようになった。これは非常に気が楽になるという一方、何となく寂しい気がしないでもない。私はそういう性格なんで、すぐに誰かと違うんだという見方をされたかったりするという実に屈折した人間だからである。
 ここまで考えてきて思いついたことがある。引きこもりになってしまう子ども、青年たちにとって、いつまで経っても家から出立する勇気を持てない人たちの思考の中には、私が感じていた面倒くささが正にその足かせになっている人たちがいるのではないかということなんである。
 彼等の多くは夜になると家から出てコンビニに行くことはできるという人たちだったりする。その時間には多くの同年齢が街にいてもおかしくないからだ。しかし、中には30代でも40代になっても家から出られないという人がいる。その年代でも平日の昼間に街中に暇そうにしている人というのは多くはないと自分で決めている。すぐに「なんで?」に晒されると自分では思っている。都会だったらどんな時間にどこにどんな年齢の人がどんな格好でいたとしても誰も奇異に感じたりはしないけれど、それでも誰かに指摘されるかもしれないという恐怖心を持っているのではないだろうか。となると、彼等は私の年齢になるとそんなことが総べて払拭されて気楽になるのだろうか。
 そうなる前にそんなことに気を病む必要なんてないんだよということを分からせてあげたいものなんだけれどなぁ。