ほぼ足りてまだ欲 その先

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無教養

 はなはだ残念なことに私は文学に造詣が深くない、とはいうけれど、造形が浅いとはいわないのはなんでだろう。いやいや、とにかく、文学を語らせたら、まったくの話、なんにも分からないのである。高校生になったあたりからいわゆるフィクションというものを全く読んでいないのだ。洋物では多分「にんじん」が最後だったのではないかというくらいのものである。和物でいったら・・「白きたおやかな峰」くらいか。とにかく「楡家の人びと」は読んでいる。その後はさっぱりだ。
 だから、大学に進む時に、文学部というのにはまったくの話興味がなかったし、選択肢には現れなかった。言語については興味があったから、独語か英語を訓練する学部だったらいったかも知れない。しかし、歴史あたりについても全く関心がなかった。なんで年数ばっかり覚えさせやがるんだろうか、バカじゃないかと思っていたし、資料を見たら誰でも瞬時に答えられるようなことを試験するんじゃないよ、頭の中に入っていなくたって見れば一発で分かるんじゃないか、と思っていた。そんな風にしか歴史を捉えられなかったのはまっこともって未熟そのものだった。
 だから、文学研究者がどんな論文を書くのかなんてまったくの話興味もなく、例えば日文の学生が「谷崎で卒論を書いた」なんぞという話を一体全体、どんな風にものにするのか、想像もつかなかったのである。だから、先日ある人がある作家とその作品について書いているのを見た時にはもうびっくりして飛び上がりそうだった。一つの作品について書いてあるのではなくて、あの作家がこの作家のあの作品についてはこのように述べていて、こっちの作品についてこのようにいっているのは前者に較べて、この傾向を持っていたのではないかと推察していることを表している・・・あぁ、なんと気の遠くなる作業なんであろうかと絶壁から下を見下ろしたような気分だったのだ。
 あぁ、良かった、私はそんなに複雑に絡めて考えるという技を生まれてこの方、全く身につけずに来てしまっていたのだから、そんな世界に自分を投げ入れずにいて。
 結果として何もマスターすることなく、なにも完成することもせずに終わっていくことには別段何ら悔しい、という気持ちもないけれど、なんかあっても良かったのかもしれないという気がしないではないが、これは幼い時から育てられながら「なんでやらないんだ!?」いわれ続けた効果の現れなのかもしれないなぁ。
 おとっつぁん、今でも、この歳になっても、あぁたの所為にしておるのだ。情けないことこの上なし。