ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

国立名人会

 第333回国立名人会に行く。国立(くにたち)ではなくて、国立劇場演芸場。
 期日前投票にいってこようと思って近所の以前に投票したところにいったらなんにもない。こっちに作られるのは投票日一週間前からで、それまでは区役所に行けという。今日はそこまでいっていたら間に合わなくなっちゃうから明日にまわす。
 演芸場に往く道で途中のデパートで弁当を買ってから行くのはいつもと同じ。あんまり高い弁当にチャレンジするつもりもないものだから、良くある海苔巻きと弁当を一つずつ。本当は寄席に行くんだから「辨松」と以前いってた用にそれにしたかったのだけれど「また、それか」といわれるのが眼に見えていたからやめておいたのだった。演芸場の前まで辿り着くと投票行為をしなかった分だけ早く着いてしまっていて、上が開くまでややしばらく待つ。
 いつもだったら客席で弁当をつかうんだけれど、今日はロビーにした。すると、凄い光景である。おじいさん、おばあさんがそれぞれてんでに弁当を取り出してロビー一杯に弁当風景が拡がる。ちょっとした芸人だったら一個ずつ貰って歩いたら今夜の夕飯まで賄えようかというくらいである。
 席は8列目の真ん中だった。ちょっと小声で喋られると私の耳では良くきこえない。やっぱり今日も「若い」方のジャンルに入ろうかというくらいの年齢分布である。
 周りを見回すと、皆さん暑い中をここまでやってきて、お昼を食べたすぐだから、眠くなるらしく、船を漕ぐ姿もあちこちに見られるという時間帯。終いには私の真後ろに座っていると覚しきお爺さんは寝息を立てているという始末である。まぁ、この面子では派手な人は誰もいないからしょうがないといえばしょうがないのか。桃太郎は途中で扇子を忘れてきたのに気がつく。楽屋に扇子をくれと合図すると、そのうちどてんと誰かがひっくり返る音。センスを持って出てきた前座が肘を押さえているのを見てお客が湧く。桃太郎のは「ヘタウマ」ってんだろうなぁ。
 小里んは全く枕を振らずにすぐに噺に入る。やっぱり小さんの名前は彼が継ぐべきだったんだなぁとしみじみと馬風前会長の言葉を想い出す。巧さは群を抜いている。私が「寿町!」と声を掛けようかと思ったら斜め後ろで若い声が「待ってました!」と先を越す。30分といわず彼にじっくり長講一番やらせたいねぇ。
 昭和のいる・こいるもそろそろ往年のテンポが滑舌が鈍ることによって決まらなくなってきた。
 圓蔵の「らくだ」は枕を振りすぎて、噺に入ってからははしょるはしょる。尤もこれをじっくりやるには体力がいる。今だったら雲助や、権太楼あたりくらいが最も映えるあたりかもしれない。それにしても、今日のメンバーは地味だったけれど、私にとっては小里んちゃんをちゃんと聴けて嬉しい日だったのだ。

三遊亭 竜楽「金明竹
柳亭 楽輔「天狗裁き
昔昔亭 桃太郎「寝床」
—仲入り—
柳家 小里ん「三人兄弟」
昭和 のいる・こいる
橘家 圓蔵「らくだ」

 最近はこういう高座をずっと見つめていると目がしょぼしょぼしてくる。私だけかと思ってそう連れ合いにいってみると、同じだという。こりゃ明らかに加齢症状だろうか。
 また、例によってお堀端を三宅坂から、桜田門、有楽町へ歩いて、ビックカメラに入る。ここだけはまともに歩けないほどの人混みで、5階のapple売り場によるとiPhoneを買おうという人たちが列を作って並んでいる。iPadのデモ機は3台しかおいてなくて、触る順番も回ってこない。それでも後ろから見ているとタッチパネルは指紋だらけでぎらぎらだ。画面上のキーボードのタッチだけを確認したいだけなんだけれど、それすら順番が回ってこないので、なかなか買うことにはならないだろう。
 伊東屋にあがり、9Fに「紙工芸作家 ごとうけい展」を見物。これは面白い。7月1日まで。作者は1971年生まれ、多摩美出身。子どもの頃、こういう類を良く創った。オフクロにご飯粒を貰ってそれを糊にして創ったものだ。好きだったなぁ、この類は。
 約12,000歩。