ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ETV特集「敗戦とラジオ」

 昨日、NHKETV特集で放送されたのは「敗戦とラジオ」。ひょっとしてかつて放送された「真相はかうだ」をパックン・マックンが再現したあの番組の再放送かと思ってあまり期待はしていなかったのだけれど、これは面白かった。
 終戦から、講和条約が発効するまでのNHKにおける放送のあり方を総括しているのだけれど、飽くまでもGHQによって規制されていた占領期間における実情と日本政府の変身ぶりを丸山鉄雄(プロデューサーで丸山眞男の兄)、三木鶏郎こちら)、フランク馬場(GHQの日系二世)が創った「日曜娯楽版」(1947年10月12日 - 1952年6月8日)を中心に捉えている。
 朝鮮戦争が始まると日本海沿岸のNHKの放送局の出力が大幅に増大されて、VOAのハングルでの共産軍に対する宣撫放送を短波にのせて放送したという。
 「日曜娯楽版」はGHQについては全く触れることは許されなかったけれど、というよりは自主規制したけれど、日本政府に対しては再軍備問題も含めてしつこく批判の対象としたコントを続けていたのだそうだ。従って会長の下にはいくつもその筋からの抗議があったのだそうだけれど、GHQのフランク馬場は「日本国民にとっての息抜きとしては必要なんだ」と会長を説得したのだという。
 永六輔が「日曜娯楽版」と三木鶏郎について始終言及する意味が良くわかった。

国会議事録に現れた「日曜娯楽版」

放送法に関連して

昭和25年02月13日参 - 電気通信委員会
尾崎行輝君:そうすると、昨晩やりましたのは、これなどもどう判断されますか、大臣もお聞きになつたと思うのですが、昨晩日曜娯楽版というのがありまして、その中に、ごく梗概を申しますと、或る大臣が非常に議会でいじめられたか、委員会でいじめられたか知りませんが、むしやくしやしておりますと、そこに祕書の人が来まして大臣に、これから一つ映画を見に行ききましよう。それはいい、どこへ行くか、何というのを見るのか、「赤い靴」と言つたら、はあ、赤はいかん、赤はいかんと言つたというのが昨晩のあれに出ておりましたが、これなども私共には直ぐああ「赤い靴」の広告だなというふうに感ずるのでありますが、それを広告と見るかどうかというのは、どれくらいの限界まで感じられるか、一つ……。(笑声)極く常識的にも昨晩のは確かにどうも私は広告と感じますが、どうでございましようか。
国務大臣(小澤佐重喜君):そういう問題は常識問題になつて来ますが、例えば特定の広告主から依頼を受けて報償契約をしまして、そうしてやるのが広告放送と思います。今のように一つの芸術のテクニツクか何かで、偶然そこへ出て来たのは広告放送とは考えていないという趣旨で行きたいと思いますが、私もそうむずかしいことは分りませんが、要するに広告放送というのは、広告主があつて、その人から註文を受けて、それに対する一定の報償契約をして、そうしてその人の宣伝をしてやるのが広告放送ですし、今お話のように誰から頼まれているのでも何でもないが、たまたま一つの番組、或いは芸術の範囲内において三越が出ることもありましようし、或いは国枝館が出ることも、いろいろありましようけれども、それはそれを宣伝するのが趣旨じやなくて、むしろ芸術の方を主とするといつたものは、広告と考えられておらないというような常識しかないのじやないかと思います。

 「赤」にこだわる当時の風潮について風刺している、そっちじゃなくて、こっちかよ!?とでもいいたいところではある。

昭和25年12月02日衆 - 人事委員会
加藤(充)委員(日本共産党
・・・また同時にきのうも失礼な言葉をはきましたけれども、人事院はほんとうに日曜娯楽版のラヂオの放送のように、ふらふらふんらのようなその腰をしつかりと固めた態度と、毅然としてこの際責任を全うするというような熱情を込めて、形式的 論議じやなしに、公務員の生活を守り、その上に人事管理を執行するという責任のある熱情を裏づけとされた態度をこの際表明しないだらば、まさしく人事院自体は、その労働者のためにならざるところの本質を、この機会に暴露したものになることを私はここに指摘・・・

 単なる比喩として捉えられているだけだけれど、それだけこの番組が広く国民に浸透していることを示しているし、戦後5年で(そんなふざけた態度に我慢ならん)とでもいうムードがまだまだあったことでもあるんだろう。


 そして愁眉はこの発言である。

昭和26年03月01日衆 - 電気通信委員会
椎熊委員:次に娯楽放送の内容について、娯楽放送と申しましてもいろいろあるようですが、なかんずく私が今指摘するのは、日曜娯楽版などのことを中心に申し上げます。この放送内容は長きにわたつて続けられておりますが、何らかそこに政治的意図が含まれておるのではないか。娯楽放送ですから、諷刺があつたり、皮肉があつたり、辛辣な批判があつてしかるべきではございましよう。しかしそこに何らか政治的の意図があつてなされておるとすれば、これは公的意味を持つておる日本の放送として、ゆゆしき問題であると思う。ことに私は特にこの人の放送を注意深く、長年にわたつて聞いておるが、この人の放送の底を流るる思想的体系は、一体那辺にあるか、私は非常に疑問を持ちます。私の菲才をもつて検討いたしましても、これはどうも共産主義的思想ではないようであります。私ははなはだ浅学ではございますけれども、まさにこれは虚無主義的な思想ではないかと思う。そういうような印象を与える娯楽放送というものは、一般大衆に及ぼす影響が非常に恐るべきものがあると思う。なかんずくこの人の経済界、政治界を主題とした場合における放送というものは、驚くべきものがあるのであります。少くとも国家と結びついてやつておる日本放送協会の放送は、日本の国家再建復興のために協力するということが、根本的な建前でなければなりません。これがあるいは革命的思想であつたり、これが破壊思想であつたり、虚無的な思想であつたりすることが根底で、ああいうものが出て来るとするならば、恐るべき宣伝力を持つものであつて、国家に及ぼす影響は私は見のがすことができないと思うのであります。その点について古垣さんはいかようにお考えになつておられるか。
古垣参考人(当時のNHK会長):お答えいたします。日曜娯楽版についての御批判、非常に適切な、痛いところをついておられるように拝聴いたしました。御承知のようにああいう諷刺娯楽を取扱う番組は、なかなかむずかしいのでありまして、万全を期してなおあやまちを犯すことが非常に多いので、ただいま御指摘になりましたようなことが万々ないように、日曜娯楽版を始めましたときから、私自身も非常に注意いたしておりまして、しばしば結果について批判して、改めさしたこともございます。しかしただいま御指摘されました、あるおもな人、日曜娯楽版をやつておると御指摘になつた方のことでありますが、世間では、この人がこの日曜娯楽版を書いてやつておるというようにお考えのようでありますけれども、よく御注意になりますとわかりますように、今日の日曜娯楽版の内容は、聴取者大衆から募集するとか、またその他のところでしているのが主でありまして、先ほどの御指摘の人も、その人としてのものも一部取入れますけれども、それは全部ではございません。それからまた娯楽版のスクリツトといいますか、台本というものは、ラジオ・コードに照しまして、事前にただいま御指摘のようなことがないようという立場から、協会の中の機構で、それぞれ係の者が十分検討いたしまして、これならよろしいということでやるようにいたしております。しかし、初めにもどりますが、これはなかなかむずかしいもので、これをよくやりまするならば、国民に希望を与へ、独立の精神を与えてたいへん結構なものだと思いますが、一歩誤れば、またたいへん被害も大きいので、一層慎重を期してやつて行きたいと思います。

 虚無的思想には今となってはお笑いだけれども、なにしろ戦後6年、未だ占領期間中であるけれど、朝鮮戦争勃発、真っ最中の出来事なんである。「貴様、だらだら、デレデレするなぁ〜っ!」とでも怒鳴りたいくらいのものだったのではなかろうか。