Paul Ferdonnetは「ストゥトゥガルトの反逆者」と呼ばれ、ドイツ軍が侵攻していたフランスで、ナチスの宣撫放送に関わっていたといわれていた。しかし、本人は翻訳はしていたけれど、放送はしていないと主張。1942年にはもうやめていたと。1945年7月13日付けSydney Morning Heraldには彼が死亡したという記事が掲載されていた。
戦後、マッカーサーがリストアップした39名の要逮捕者リストの中には二人のオーストラリア人が入っていて、そのうちの一人は後に国家反逆罪に問われた元シドニーのラジオ局2GBのアナウンサーだったChales Cousensで、もう一人は上海で英語のプロパガンダ放送をしたJohn Hollandである。(1945.09.12付けSydney Morning Herald)