ほぼ足りてまだ欲 その先

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 なんでも今年は岡本太郎生誕百周年だそうで、来月8日から竹橋の国立近代美術館で2ヶ月にわたって、岡本太郎展が開かれるんだそうだ。それで、新宿の駅のビルボードにど派手なポスターが貼ってあったんだなと今気がついた。
 岡本太郎という人はその出生の環境もあるからなんだろうけれど、実はうちの死んだとっつぁんと同じ歳になるのだけれど、それにしてはえらいど派手な人だった。彼等が子どもの頃といったらわら草履で遊んでいた暗いで、今とは根本的に周囲の状況が違う。そんな時代に育ったのに、あんなに周囲から逸脱していたなんて驚き以外の何物でもない。
 「芸術は爆発だ!」といったのがとにかく印象に残っている。次から次に発想が湧いて出てきて、それが溢れて収まりがつかない、そんなタイプの人(を演じていたのかも知れない)。テレビに出てきては目を見張って、手の指を全部開いて東洲斎写楽描くところの「三世大谷鬼次の奴江戸兵衛」の如く構えて「げいじゅつはばくはつだっ!」と叫んで見せてみんなが喜んだ。「グラスの底に顔があっても良いじゃないかっ!」とウィスキィーの宣伝にも出てきた。ほ、ほぉ〜、そりゃ一理あるなぁと感心したものだ。コピーライターが素晴らしい。
 しかし!私は大阪の万博会場跡の公園に立っている置いてきぼりを喰ってしまっている「太陽の塔」や、すぐ傍の綺麗になった公衆トイレほどには振り返って貰えない数寄屋橋公園の「若い時計台」が、なんだか「もう良いんじゃない?勘弁してよ」といっているように感じる。もう許してあげても良いんじゃないかという気がする。なんだか、時代の懺悔に残っているような、哀れさを憶えるのだ。