ほぼ足りてまだ欲 その先

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国家反逆罪

今週のお題「心に残った本」
 子どもの頃心に残った本といったら多分玉川学園が出版した各種絵本のうちの一冊だったと思うのだけれど、様々な用途の自動車がカラーの絵で載っているものだった記憶がある。とても平凡な話ではあるけれど、私はこの本をしつこく、しつこくめくっていた。中でも気になっていたのは池袋を走っていたらしい「トロリーバス」である。私が生まれ育った横浜には当時はまだトロリーバスなるものは走っていなかった。走り始めたのは1959年で後に循環バスとなるのだけれど、それはもう私が大学生になってからだった。
 横浜の東横線沿線だけれど急行の停まらない駅近くで育った私にとっては、新宿だとか池袋というの地名はなんだか如何にも東京の繁華街という感じで、なんとなく偉そうな、訳知りな、上から目線で(当時はそんなことばなんてないけれど)見られているような都会だったから、羨望のまなざしと共に、酸っぱいブドウ的思考を持つ地名だったのである(とにかく屈折していたに相違ない)。
 というようなものをすぐに思い浮かべるのだけれど、最近の話としてはドウス昌代の「東京ローズ」とIvan Chapmanが書いた「Tokyo Calling: The Charles Cousens Case (1990) 」をあげる必要があるだろう(全く「最近」じゃないけれど)。
 前者に関してはこの本を読んではじめてドウス昌代を知り、それからドウス昌代の作品を追いかけるようになったきっかけになった。ところが私がこの本で取り上げられているアイヴァ・戸栗をどこで知り、どこから何を考えて追いかけてきたのかが全く思い出せないという実に悲しい状況にいる。
 それ以前の私はどこかからかアジア太平洋戦争が終わってから日本に滞在した連合軍兵士と結婚して彼等の国に渡った女性達について興味を持っていたはずで、彼女たちが高齢に達してからどうしているのかという点に関心を持っていた。それ以前には米国の日本人及び日系社会の歴史的変遷に関心があった。
 このあたりを掘ってみると、異文化社会における様々な葛藤はなにも日本人だけではなくて大いに普遍的であり、それでいてそれぞれが抱えてきた文化的背景と直面している異文化との狭間で人間はどの様に困難を抱えるのか、だから何を考えなくてはならないのかということに関心を払うようになった。
 そんな時にSydneyの古本屋の店頭で見付けたのが後者の「Tokyo Calling」であった。別にこの本について、あるいは著者について、取り上げられているCharles Cousensなる人物について事前に知識があったわけではなくて、表紙に映っているのがやせこけた白人と腕に「憲兵」と書いた腕章をしている日本人の兵隊の二人だったからだ。あとからここに映っている貧相な白人がアイヴァ・戸栗と共に「ゼロアワー」に関係した人物だと知り、驚くことになる。思わぬところでこの二冊の本がつながったのだ。