ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

馬脚を現す

 私はこれまで東電、保安院の記者会見の開催を何で知り、何を使って中身を知ってきたのかといったら、そのすべては既存のマスコミの報道ではなくて、岩上安身のIWJのUStreamである。マスコミでもそれぞれの会見を伝えてはいるが、例によって彼等が選択した結果の中身だけで、例えば夜中の東電の会見で突然「比較的低レベルの放射能汚染水を海洋投棄」するとぽろっといって、終わりにしようとした東電の一方的会見なんぞに至っては既存マスコミは殆ど、全くといって良いほど報道していない。
 これは画期的なことであって、これまでの報道という概念では捉えられない物である。これに近い存在は国会のネットテレビによる中継くらいの物ではないだろうか。広くそう認識されていない嫌いがないでもないけれど、あの国会のネットテレビ中継は国がやっているにしては全公開であって、もちろん注目されているとき以外は殆どの国民は見ていないし、見る時間もない。しかし、これが既存のメディアにかかるとまったくの表層的な非常に限定されたことばの切り貼りであるから、「ことばの一人歩き」に荷担してるような物である。
 で、国、つまり霞ヶ関の会見がばらばらに、ばらばらの時間と場所で開かれるという声がある。いや、むしろ今回の福島第一原発に関していうと、原子力安全委員会も、保安院も東電も同席した上で会見をするべきだ、というのは既存メディア以外がいう声である。なぜ既存メディアはそういわないかというと、それぞれに文科省記者クラブ経産省記者クラブ、エネルギー記者クラブの担当がいるからである。その上に、この事件でいえば社会部もいる。
 それに翻って、外国プレスや、フリージャーナリストにとっていえば、これは大変な話である。ところがどうも保安院は会見を午後5時からに一本化するが、それに際しては出席許可するメディアを保安院側の選択に絞るといっているようだ。それが東電、保安院だけの一本化なのか、保安院、安全委員会の一本化なのかまだ私にはわからない。それで、例のなんのために会見に表に立っているのかわからない、文系の,ついこの前までエネルギー担当だった西山某が「メディアと呼ぶのにふさわしい方に聞いて頂きたいと思っている」「我々のこの会見は報道関係に説明するということ。それにふさわしい人を選ぶのは、ある程度やむ終えない」と表現しているそうで、これはつまり、政府筋が会見に入る媒体を自ら選択すると宣言しているということであって、これは第三者的に見れば、明らかに言論統制である。このいい方からしたら、どんな媒体でも、あるいは媒体でなくても、フリーのジャーナリストを好き勝手に斬ることができるということになる。西山某は自分が何をいっているのかわかっているのだろうかと頭をかしげる
 私達はこの動きには大きな声を出して反対して行かなくてはならない。
 どうやら一本化の話は東電と保安院の会見の一本化が、事件から40日ほど経って、ようやく実現するという話のようで、岩上安身自身は出席が可能ということになるらしいけれど、IWJのカメラは排除されるという方向になっているらしい。いよいよ、原発推進を国家事業として国民の目から遠ざけることに腐心しているのだろうか。そんなことをしても、結果的にこの国そのものが地球上に孤立していくという結果となる危険性大。彼等は保身を計ってこの国を滅ぼそうとしている。許してはならない。