ほぼ足りてまだ欲 その先

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 今日から藤原新也の「CATWALK」という有料サイトが始まった。藤原新也という人を知ったのはなんだったのかというと、当時としてはとてつもない分厚さの文庫本を見付けたときだというのはあんまり人前でいうような話ではないだろう。しかし、私はそれ以降、彼の本を手にしていないような気がする。気がするくらいなら自分の書棚を確かめればいいのに、地震でぐちゃぐちゃになって以来、ちゃんと整理していないものだから、どこに何があるのかわからな。それでも捜せばいいとお思いだろうが、ところがギッチョンで、そんな気にはとてもならないくらいにばらばらなのである。こんな時に、誰か本の整理を引き受けてくれる人が欲しいものだと思うと同時に、このまんまにしておくと、気がついたら近所の人に「ゴミ屋敷」と呼ばれるようになる道もそれほど遠くないような気もしてくる。テレビカメラをもった男がやってきて「このゴミ、どうにかしないんですか?」と訊ねられて、私は「これはゴミじゃないんだ!」と叫ぶてぇ奴だ。ゴミなんかじゃないんだぞと。
 で、その藤原新也が有料サイトをはじめたのだ(ア、最初に書いたか)。
 さすがに美大に行った人がはじめた有料サイトだけあって、まぁ、そのセンスたるやもの凄く魅力的なんである。彼が昭和19年の生まれだということを初めて知ったのだけれど、今の60代の爺さんは力があるなぁとほとほと参る。尤もあの時代にインドに行こうという男は底知れない奴が多いよ。そこに行くと、あの時代にチャラチャラ、「ギブミー・チョコレート」の延長線上でアメリカに憧れた、私のような輩は口先ばっかりだ。
 そうそう、そういえばかつて東京都の老人総合研究所の方のお話を聞いていて、ほ、ほぉ〜と思ったのは芸術の創作者は歳を取れば取るほどどんどんその制作性が高まるのだ、というのだった。そういえば、いましきりにもうけようとする人たちが盛り上げている岡本太郎にしたって、一番の盛りは終わりの方だったかも知れない。なにしろあの歳で「爆発だぁ〜!」なんて目を剝いていたのは驚きだ。ま、彼の場合は何となくどこかアニマル浜口が入っていたような気がしないでもないけれど。多くの芸術家はどんどん高まるような気がする。歌い手はそこへ行くと駄目になるけれどね。だから二葉百合子の決断には私は拍手を送るものである。大衆性が豊かどうかはクリエイティビティについては関係がないのだ。