ほぼ足りてまだ欲 その先

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記念の日

 昭和天皇のラジオからの声がまたどこかのテレビ局の番組で聴くことができるのだろう。今日はそういう日だ。さぞかし靖国神社はかしましいことだろう。
 いつも不思議で仕方がないのはなんであそこに昔の軍服を着て、あたかも連隊旗の様な旗を掲げて歩調を取って行進してみせる爺さん連中がいるのだろうかということ。あの人達は軍隊でとても良い思い出が一杯あったということなんだろうか。一緒に辛酸をなめた戦友があの靖国神社にいる(ということになっている)から、かつての勇姿を見せて、その無聊を慰めるということなのだろうか。いやいや、辛酸をなめたのであったら、もうそんな姿に帰りたくはないだろう。それとも、あぁすることによって軍隊に取られた人たち、あるいは皇民教育で天皇陛下に喜んで身を捧げて死んだ人たちを「素晴らしい!」と讃え続けるということだろうか。
 今でもあの戦争は正しかったと肯定している人たちが確かに存在する。その中に「あの人達の累々たる屍の上にわれわれの人生がある」といって感謝するべきだという人たちがいる。歴史的時系列を語るという意味のみでそういうのはわかる。そういう歴史を私達は今でも抱え続けているわけで、だからその人達の若くして、あるいは幼くして断念した残りの人生に私達はいつまでも思いを馳せて、暮らしていくべきだというのは良くわかるし、そうして暮らしていきたい。
 しかし、今日のわが国の繁栄はあの人達の死の上に築かれているという表現を聴くと、それはちょっと違うのではないかという気がする。
 私はまだ10代の頃、あの戦争の時代、殆どの人たちはあの戦争がいやだいやだと暮らしてきたのかと思っていた。私は戦争直後の生まれだから、物心がついた頃はまだラジオで「たずね人の時間」があって、舞鶴にいつ頃着いたどこそこの出身のなになにさんを捜しています、という情報を次から次に流していた頃だ。藤倉修一が中継をしていた「街頭録音」という今でこそ珍しくないインタビュー番組があった頃だ。街でマイクを向けられた人びとは今と違って、大いに困惑しながら、それでも嬉しそうにおずおずと言葉を発していた。
 その頃は放送番組でも、新聞でも、「あんな戦争には二度と遭遇したくない」という声ばかりだったし、ひもじい思いはもういやだという声に満ちていた。しかし、私が成長するに従って、占領が解かれて世の中にかつての姿がいくらでも描いて良いことになるに従ってわかってきたことは、当時天皇は神様として扱われ、あの人のためならば、例えどんなところまでも突き進み、爆弾抱えて「鬼畜米英を一人一殺」してでもお守り申し上げるとまなじり決して眼の中に撃ちてし止まんの炎が燃えているいがぐり頭の少年達の姿だった。
 今から振り返ってみると、これは一種の国家規模の宗教だ。もちろん天皇を神として捉えるということがもう既に宗教であるのだけれど。戦後天皇による「人間宣言」がなされたといわれるが、実は「私は神ではない、人間である」と宣言したわけではない。

 朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ

 というだけのことである。
 しかし、各学校には写真を納めたところがあってそこに向かってお辞儀をしなくてはならなかったし、 お住まい担っている皇居に向かって一斉に号令の元深々とお辞儀をしたものだというのは記録映画や劇映画の中で見てきた。皇国少年少女はそれがいやだっただろうか。何となく清々しく感じて、われら優位なる国家、民族はかのお天子様によって神国として守られているのだという根拠のない優越感ではなかっただろうか。その意識はその体制の中で頭角を現している身体強健、運動神経抜群、気配り万全、大声滑舌軽快、腰軽く機敏な奴の天下だったことだろうと容易に想像がつく。それに反してうらなり青びょうたんで、近視眼鏡着用、発声貧弱、鈍足鈍重な輩にとっては辛い日々だっただろう。自殺者がでたことがあとになって語られたけれど、無理もない。国民学校レベルでも相当辛かった少年少女はいたはずだ。それでも「ようやくお天子様に報いることができることになった」と喜んで少年兵として家を出たものがいたことは事実だ。これはだまし討ちだ。その気にさせて死を忘れさせるという卑怯な手段だ。 あきらかに洗脳だ。
 彼等の死は騙された死だ。確かに彼等はまごうことなくお天子様のために報いる意思を持って命を捧げてきたのだ。しかし、その結果お天子様をお守り切れなかった。ということはこの戦争に負けた責任は皇民達にあるということになるのか。

 私達のこの国は戦争に負けたことによってその宗教的国家体制から開放された。その結果どんな国になったのかというと、決して民主主義国家となったわけではなくて、企業至上主義国家となった。 お天子様の代わりにお企業様が君臨する国家となった。そしてそれは戦後66年間未だに継続している。
 ところで、右翼の街宣車というものはなんで真っ黒で(これはどうでも良いのだけれど)、あんなに大きな音がでるスピーカーシステムをつけていて条例によって規制されるということがないのだろうか。しかし、もうそろそろ鶴田浩二が唄う「同期の桜」はなにかに変えたらどうだろうか。