ほぼ足りてまだ欲 その先

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渡辺憲司

 3.11で中止になった高校の卒業式の代わりに「時に海を見よ」という文を学校のHPに掲載したら驚くほどのアクセスがあって、一躍有名になった立教学院新座中高校の校長だ。
 また中途半端な時間に寝てしまって夜中に起きていたらラジオ深夜便にその渡辺先生が出てきた。年寄りは今こそ理想を掲げて世をリードせよと檄をとばす。伊能忠敬は50歳を過ぎてから自分の役割は何かを考えて日本一周の測量に出発した。日本では節目節目で必ず世のリーダーが理想を掲げて進んできた。鎖国だって一つの当時の理想だったはずだし、戦争が終わった後での新しい世の中にみんな理想を掲げたはずだったじゃないか、と分かり易い。
 年寄りはそれまでのしがらみに絡みつかれていえなかった、主張のできなかった「理想」を今こそ掲げるべきだという。それまで自分が持っていた数々の意味を、もう一度考え直してみろ、既成の意味に縛られる必要はないんだし、それをする時間はゴロゴロとあるじゃないかという。
 正にストンと落ちてくる。そうなんだよ、それこそ私が言いたかったことなんだよと、早い時間の朝飯を食いながら渡辺先生の言葉を直ぐにもここに書きたくて、一旦落としたパソコンをアップした。
 かつて私が渡辺憲司という名前を初めて眼にしたのは雑誌「東京人」の中でのことだった。私は高校生の時に落語研究会を造ったくらいだから江戸文化にも関心はあったものだから、一度で良いからそんな絡みをどこかでじっくり読んでみたいなぁと思っていた。その雑誌で見た時に渡辺憲司が立教大学の文学部にいるとわかって、いつの日にか聴講してみたいものだと思っていたけれど、科目等履修生が登録できるような授業は実は一般的過ぎて面白くない。そうかといって学士入学するのは負担が大きい。どうしようかと思っているうちに渡辺先生が定年になってしまったのだった。もうひとつは多分彼の授業をとると読めやしないような崩し文字で書いてある文書を解読しなくちゃならんのだとしたらそれは堪えられないものがあるという弱気だった。今から考えてみたらそんなことはどうでも良いからあの先生の廓についての話を聴いてみるだけでも意味があったかも知れない。
 今日の話はもう一度メモをとりながら聴きたいものだ。
 渡辺憲司は1968年立大日文の卒業だから私の恩師である岡田徹(1968年立大法)と同期のようだけれど、岡田先生よりも一年早く定年退職しているところを見ると一年浪人しているのかも知れない。