ほぼ足りてまだ欲 その先

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「オレンジと太陽」

 岩波ホールで上映されている英・豪合作映画「オレンジと太陽」が6月8日で上映が終わってしまうというので、とにかく一度見なくては、と思っていた。
 今朝、岩波ホールのサイトを見たら「混雑」と書いてある。開演の30分前までには来ないと入れないかも、という注記があったので、慌てて取るものも取りあえず家を出た。岩波に到着したのは10時40分くらいだった。早速、一階窓口でシニア一枚を買い、エレベーターで10階のホールフロアに到着してみたら、もうすでに10客ほどある椅子は一杯で、既に4-5人の女性が立っている。しかし、並び方がわからないらしく、フロアにうろうろしているので、階段に沿って並ぶのだとご教示する。つまり、私の前に15人ほどがいるのだけれど、その中に男性はわずかにお一人だ。つまり、ほとんどおばさん、もしくはお婆さんだ。平日の午前中だから若い人がいるはずもない。そのおばさん、お婆さんは階段に沿って並んでいるところに並ぶ、という状況をそう簡単に受け入れて納得することができないらしい。
 映画が始まる頃にはほぼ9割5分ほどの入りで、この種の映画がこんなに多くの人の関心を呼んでいることに私はびっくりしてしまったのだ。これまで何本か豪州を舞台にした映画を見てきたのだけれど、こんなに多くの人が見ているところに遭遇したことはない。「岩波で上映される映画だから見る」観客なのかもしれないけれど、こういう過去を知ってもらえるということもそれはそれで必要なことだろう。
 ほぼ映画のプログラムというものを買うことはないのだけれど、題材が題材だから思い切って700円のプログラムを購入。「オーストラリア学会」で見慣れた阪大の藤川隆男氏が文を寄せている。
 彼によれば、英国からの児童移民は1617年から始まっていたそうで、私はたいそう驚いた。というのは、私はこの一連の「Lost Children」は第二次大戦以降の話だとばかり思っていたからである。それはこの映画でもそうだけれど、たまたま、マーガレット・ハンフリーズが動き始めたのが1987年のことであって、話題になるのは同時代の「Lost Children」のことだったからだ。豪州のテレビ、ABCが放送したドキュメントリーも確か、彼らのことについてのものだったと記憶している。
 戦後のことについていうと、孤児院等に収容されていた児童を「オレンジと太陽に溢れた」豪州にみんなで移民するのだという触れ込みで送り込むのだけれど、その実態は親とともに暮らすことができない事情を抱えていた彼らをこれ幸いに豪州に送り込んで、宗教団体やその他の施設で労働に従事させ、搾取してきたということであるだけではなくて、その親に対しても「里子に出した」と説明し、逆に彼らには親は死んだと説明してきたという一連の出来事なのである。
 東洋大の先生も社会福祉の面から文を寄せている。
 映画の中で「Social Worker」のことを字幕で「社会福祉士」と訳しているのは如何なものかと。理想的には日本の社会で社会福祉士をそのような位置づけで呼ばれる日が早く来ると良いとは思うけれど、彼の地での「social worker」が果たしている役割、社会での評価が今の日本の「社会福祉士」と同義に使われているかといったらまだそこに至っていないように思えるのだ。
 豪州国内では今の労働党政権になって以降、こうした過去の闇を明らかにして、過ちを認め、政府が謝罪してきていることは大いに評価されて良いのではないかと思うと同時に、今度はそれを我が身に振り返ってみて、私たちは過去の大きな間違いを認めて、それを心から謝罪するということをしてきたのかどうか、反芻してみる必要があるだろう。
 日豪合同セミナーや日本オーストラリア学会でこの児童移民について語られたことがあるのだろうか。
 この映画の関係者の中にただ一人、日本人、あるいは日系人らしき名前をエンディング・ロールで発見す。