ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

電通

 東京都のオリンピック招致活動での5億円のプレゼンテーション制作費や、政治への頭の突っ込み方、マスコミのコントロールで少しはそのずる賢さ、その特異性、世の中を睥睨している特権階級的意識が一般に知られつつあるかも知れない電通だけれど、彼らの異様さは群を抜いている。縁故採用の宝庫といわれている。なにしろテレビ業界は彼らのおかげで動いているようなことになってしまっている。
 昔働いていた企業がコーポレイト・アイデンティティの再構築なんてことに取り組んでみたことがある。結果的には表面をいくら変えようとやってみたところで、それぞれの組織の構成員が本当に身にしみて覚醒しない限りはそんなことは絵に描いた餅になってしまうのは目に見えたことだ。自らを見つめ直す行為というものが必要なのだけれど、私も含めてそれまで持っていた幻想から脱却することができなかった。
 この運動はなぜか知らないけれど、電通に旗振りを頼むことになった。電通の人間で拘わってきた人間のひとりひとりははっきり言って、素人だ。もうちょっと詳しくいわないとわからないのだけれど、企業のアイデンティティーなんてものはあるようでいてよくわからない雲をつかむようなものなのだ。
 それを1万人を超える社員にその時点で敢えて私たちが働くこの会社とは一体何なのか、何を求めてこの会社で働いていくのかということを問い直すという行為だといっても良いのかも知れない。
 しかしだ、会社に就職するときに、そんなことを考えたかといったら、多分考えちゃいない。こういう種類の企業だったら自分には勤まるかも知れないとは思ったかも知れないけれど、この会社じゃなくてはならないなんて考えた人はほんの一握りにしか過ぎないのではないだろうか。
 だから、こんな突き詰めたことを考え直そうとしてみたところで、「忙しいんだよ、そんなことはろくすっぽ忙しくないおまえらが考えとけよ」とでもいった対応しか社員はしないのだ。これが40人くらいの社員で構成されている企業だったらそれぞれが直面する事態とならざるをえない。

 挙げ句の果てに、じゃ、電通がやってくれたことといったら何かといったら、進捗状態をたまに見に来る、グラフィックのデザイナーにマニュアルを作らせる、それを表面的な表現に落とし込む、節目でイベントを実施する・・・そんな程度のことだ。挙げ句に一体何をしてくれているのかよくわからない営業マンが出たり入ったりしている。一段落ついたときに、お疲れ様パーティーを開いたのだけれど、その時にその営業マンは自作の楽器を持ってきて演奏を披露した。あいつは一体何だったのか。
 デザインの落とし込み、サインの転換なんて作業は社内のイン・ハウス・エージェントでも十分できる。それを彼らにゆだねることでこの流れの権威付けを狙ったところがもうすでに、今考えてみるとアイデンティティー再構築の失敗そのものだった。
 そこに気づかなかったのは返す返すも残念だった。