ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

どこへいってしまったのか

 バブルの頃にあれだけ金が動き、多くの人がどんどんものを買い、ものを売り、懐に押し込んできたというのに、今、あっちでもこっちでも金がない、資金がないといっているのはどういうことなんだろうか、と単純な疑問が消えない。
 小さい政府にするんだ、国からの補助はどんどん減らすんだ、民間の力でやれるところはやるんだ、だから規制はどんどん外すんだといってやってきた方向性をこの国の国民は受け入れてきた。国がどこかに力を入れるということは国からその分野に補助金を出したり、その分野を規制することをやめるというようなことが考えられるわけだけれど、そのために必要な資金が必要なことはいうまでもない。しかし、それをどんどん外して減らしてきたというのに、国民の負担は減少してきたかといったらそんなことはどこにもない。むしろ増税という形で負担は増えている。
 民間に任せることにしたから、国立の機関はみんなとはいわないけれど、独立行政法人にしてきた。なんと国立大学までそうした。その結果何が起きたかといったら授業料はうなぎ登りに上がってしまい、昔だったら私立大学の授業料のわずか7分の1くらいだったものが、どんどん肩を並べるくらいになってしまった。その結果何が起きているのかといったら国立・公立の大学ほど金持ちの子弟の学校になってきている。じゃ、民間に任せたのだから、民間からの奨学金というのがドンと増えたかといったら、そんなことはこれっぱかりもない。日本人の金持ちは見返りのない奉仕というものに対しては全く興味がない。元からそうだったのかといったら全然違う。江戸の時代には豪農や豪商が多くの若者の後押しをした。篤志家という奴だ。明治革命の後、事業に成功した人たちが多くの若者を支援してきた。渋沢栄一だって、岩崎だって、あの浅野総一郎だって、学校を造り、才能のあるものに教育費を提供し、若者の教育に力を入れてきた。某居酒屋チェーンの中高一貫校買い取りとは意味合いが違っていた。
 今は行き先のない若者たちを「学校」という名前で囲ってむしり取る企業学校が氾濫しているくらいだ。
 これで教育行政が明確な指針の下に行われているといえるだろうか。これで政治が教育を真剣に推進しているといえるだろうか。
 ほとほとこの国には真の意味で政治というものが機能していないということがわかる。この状態で良いとはとても思えない。これまでなにも解決されてこなかったのが昨日今日のことではない。そんな体制を変えなくてはならないのに、自民党はもう変わりえない。何しろ総裁に安倍晋三なんて高邁な理想のかけらも持っていない輩を持ってくるような政党はもう終わっている。
 なら民主党は変革を起こすことができるのかといったら、ご存知のように全く逆の方向へあっという間にいってしまった。それは霞ヶ関にかなわないからに相違ない。こうなったら大きく変えてみなくてはならない。そのためにはひとりひとりがそれを認識して行かなくて出来ないだろう。
 大阪の能勢で元府立茨木高校長の山口禎(60)が現職の中和博氏(63)(民主推薦)を破り、初当選した。2期8年の現職は大阪維新の会が支援していたのだそうで、大阪で維新にノーといった第一号選挙といわれているらしい。これが本物になるのかどうかまだわからないけれど、投票率が60%を超えたそうで関心を高めるためにはプラスになったのかも知れない。それでも選挙権を持っている人の3分の1は投票していないわけで、これではまだまだ評価にはほど遠い。