ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

総括

 柄にもなく、今年一年を総括してみようとすると、どうしても年末の衆議院選挙のことになってしまう。私はちょっと誤解をしていたのかも知れない。この国の住民、というよりは選挙民というべきだろうけれど、はあの地震津波放射能汚染の連続攻撃でそれまで付和雷同、「ま、いっか」主義、「俺だけは違う」主義から完璧に目覚め、「こんなことをしていたらやりたいことをやるためだったらまともな顔をして国民のみならず他国の国民までも引きずり込んで収奪する連中のいいなりになってしまう!」と気がついたんだとばかり思っていた。
 とんでもない話で、あの災害+事故に依って引き起こされたことに対する対応ができなかった政権がダメだったから、それまでやってきた政権に戻すという愚かなる選択をした。その「それまでやってきた政権」がこの事態の下地を営々として構築してきていたのだということをすっかり忘れているのだろうか。
 マスコミがそれを追求していないんだからそれは悪くはないんだろうと思い込んでいるということだ。まだマスコミに騙されている。テレビのインタビューに答えた街のおばさんが「だって小沢一郎はなんでも壊すだけなんだもの」といっていたけれど、それはマスコミが刷り込んだ思いそのものだ。ひょっとするとこのおばさんだってテレビ局が仕込んだやらせかも知れないのだ。
 敢えて断定するが、この非常時(この言葉は政治屋は好きだよね)にあって全国民が一致団結して「絆」を強くして対処しなくて、どうして乗り切ることができるんだ、という思想は「全体主義」そのものである。それぞれ自分ができることを自分が発想して支援することが最も意味がある。
 放射性汚染物質を含む可能性がどこまでも払拭しきれない瓦礫を日本全国で処理することの危険性、除くと称して放射性汚染物質をただ永遠に移動させ続ける除染という作業の無意味さ、こうしたものは「金」が絡むことによってすべて正当化されて、強行される。金が絡むとすぐさま理屈がつけられて、これを正当化していってしまう。
 こんな事では本来的な意味での復興はいつまで経っても進まない。日本という国の次世代を構築する子どもたちの放射線汚染からの保護を真剣に考えるならば、今回の放射能汚染がどこまで進んでいて、次なる打つ手はどの方向なのかということを真剣に論議、実行していかなかったら、それが結果として表れてきた時にはもう遅きに失してしまう。この危機感を政府はなぜ真剣に表明しないのかといったら、今正にこの時点での利益機会を損失してしまうからに相違ない。
だからこそ浸透させようとするキャンペーンは大規模に行われなくてはならない。幸いこの国のマスコミは「利益追求集団のための」宣伝媒体になっているから、そのキャンペーンのためにはうってつけの機関である。
 客観的なデーターをそのまま当てはめると、東京から北の区域はすでにあの事件発生時点での放射能汚染物質の拡散によって汚染されている。本来的には子どもを育てる環境ではない。しかし、だからといって多くの住民の移動を奨励したら、この地域は経済的にも落ち込んでしまうだけではなくて、その回復にはとてつもない期間がかかるはずだし、発生する補償を含めた費用を考えたら国家予算のどれほどを必要とするのか見当がつかない。
 そして問題は今できるだけ誰も語ろうとしないあの4つの原子炉の無害化である。それでなくても正常に稼働していたあの種の原子炉を止め、無害化し、解体するには未だに確立されていない技術が必要となるはずだ。それを解決せずにこの施設は建設が許可され、稼働が許可されてきた。そこにも既に大きな問題があったはずなのだけれど、もっと問題なのは、それをあたかも二重三重の審査をして、やたらに高いハードルを立派にクリアしてきたので大丈夫だという印象を国民に与えてきた、全く形骸化して屁の突っ張り(津波の突っ張り?)にもならなかった各政府系機関の存在だった。なんの役にも立たない機関に多額の予算を計上してきた。彼らは何十年もの間、一体何をやってきたのだろう。
 あっという間に底を突き抜けてしまった炉はもうどうしようもないのだろうけれど、問題はあの瓦礫の中にある使用済みの核燃料の束だ。あれは一体、いつになったらどうなるというのだろうか。どうなるのかという意味の中にはもしもコントロールできなくなる事態が発生したら、本当にその被害はどこまでに及ぶのか、という意味が含まれている。そのシミュレーションはなぜ国民に知らされないのかということだ。
 今でも時として67-8年前に大量に落とされた米軍の爆弾が地中から見つかることがある。そうすると自衛隊の処理班がでて、街中の周囲何百mから人を排除してその信管を抜き取る作業をする。なんでそんなことをするのかといったら、もし信管抜き取りに失敗して爆発をしたら、何十人もの人的被害が出る可能性があるからだろう。
 では、なぜあの4つの炉に置いてある核燃料の問題について国民に避難することを指示しないのか。そんなことをしたら大変なことになるからだ。見当のつかないほどの住民を見当のつかないほどの期間、そこを中心にした地域から排除しなくてはならなくなり、この国は機能しなくなる。つまり、この国が終わるからだ。
 67-8年前、米軍が大量に爆弾や焼夷弾雨あられと落としていた頃、子どもたちを田舎の、およそ米軍がそんな攻撃をしても意味がないと思われるところへ強制的に移動させた。
 あの「撃ちてしやまん」「進め一億火の玉だ」の時代ですら、子どもたちを避難させた。今、「絆」「復興」ということばで何も知らされずに暮らしている。どちらが罪が深いのだろうか。あの時もやっぱり国民はそのままの政治を受け入れた。みんなで日の丸の小旗を打ち振って、戦場へ駆り立てられる人々を見送り、子どもたちへそれこそが皇国民なんだと刷り込んでその気にさせてきた。