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記録

(ニュースの本棚)戦争観と戦後史 老・壮・青はどう見てきたか 保阪正康
「戦争」についての基本的な理解は結局二つの点に絞られるのではないか。その第1は、クラウゼヴィッツの『戦争論』を引くまでもなく、「戦争は政治の延長」だということ。もっとかみくだいていえば、戦争という国策は「政治の失敗」に起因しているとの理解が必要だ。
 第2点は、戦争は「非日常の倫理・道徳が支配する空間」であり、平時の日常とは逆転した空間をつくりだすという意味になる。とくに20世紀の国家総力戦ではそれが明確になった。
 戦後68年の今年も、数多(あまた)の戦史、戦記などの戦争回顧の書が刊行されるだろう。しかし、戦争の記憶が遠ざかるにつれ、この2点の基本的な理解に欠ける書も目立っている。
 まっとうな戦争観を真摯(しんし)に確認するために今読むべき書は何か。私は、老壮青という三つの世代が読んできた書を改めて紹介しつつ、三つの世代に読まれた書が各世代にわたって読まれるべきだとの思いを持つ。
 ■「大和」での論争

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)

 「老」の世代は、吉田満の『戦艦大和ノ最期』を手にとり、戦争の本質について考えた。私自身、この書を手にしたのは20代前半であったが、それから50年を経てもこの書の中に登場する学徒兵出身の士官と海軍兵学校の尉官の論争には、戦争の本質が凝縮していると理解する。兵学校出身者は「国ノタメ、君ノタメニ死ヌ ソレデイイジャナイカ ソレ以上ニ何ガ必要ナノダ」と説く。これに対し学徒兵は「俺ノ死、俺ノ生命、マタ日本全体ノ敗北、ソレヲ更に一般的ナ、普遍的ナ、何カ価値トイウヨウナモノニ結ビ附ケタイノダ」と反論する。やがて二組の間には「鉄拳ノ雨、乱闘ノ修羅場トナル」と吉田は書く。
 国家の歯車でいい、それで充分ではないか、という兵学校出身者に、それだけではあるまいと説く学徒兵、ここには戦争を「政治の失敗」とみる意識と国家に隷属する軍人との間の、より本質的な対立がある。
 近代日本の技術、知識、それに国力のすべてをかけて建艦された「大和」、その特攻攻撃前のこの論争には私たち自身の戦争観が試されている。
「難死」の思想 (岩波現代文庫)

「難死」の思想 (岩波現代文庫)

 「壮」の世代は、小田実の『「難死」の思想』にふれたであろう。吉田は大正12年生まれ、小田は昭和7年生まれで、ふたりの間には9歳の違いしかないが、戦争体験はまったく違う。小田は旧制中学生として価値観の「百八十度転回」を身をもって体験している。
 小田はこの書の中でなんども公状況と私状況という語を用いて戦争を語る。「散華(さんげ)」ではなく「難死」ともいうべき多くの人の被災死、「私はその意味を問いつづけ、その問いかけの上に自分の世界をかたちづくって来た」と小田は書く。民主主義の到来で「難死」は歴史の主役になったと言いつつ、真の戦争観の確立をわれわれは成し得ているかとの問いをつきつける。
 ■理解への誠実さ
それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

 吉田、小田に続く世代として昭和35年生まれの加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を、「青」の世代の書として挙げておきたい。加藤は、中高生に日清戦争から太平洋戦争までの近代日本の戦争の内実を平易に語っている。戦争の時代だったら、私たちはどのような生き方をするのか、それを「控えめ」に語る加藤の姿勢には、戦争の二つの基本的な理解につながる誠実さがある。
 老壮青の三つの世代がそれぞれの世代の書にふれることで、戦争観はより強固な戦後史として定着していく。
 ◇ほさか・まさやす ノンフィクション作家 1939年生まれ。著書『昭和陸軍の研究』『昭和の戦争と独立』など。(朝日新聞デジタル2013年8月11日)

 小田実の「難死の思想」はいつだったか古本屋で入手したのか、図書館の廃棄本で入手したのか忘れてしまったけれど、取りあえず書棚に挟まっている。ようやく読む気になってきた。保阪らしい選択。