ほぼ足りてまだ欲 その先

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同窓会

 高校の同窓会だった。これまで出たことがなかったので、この際一度くらい顔を出してみようと申し込んでおいた。校舎はまったく変わっていたのは14-5年前に卒業証明をもらいに来たことがあって、そのときに見ていたから、驚かなかったのだけれど、卒業してから半世紀近くなると、当時のことをもう覚えていないし、近辺が全く様変わりしているものだから余計に思い出せない。
 驚いたのは同じテーブルに座っておられたお婆さんのネームカードに昭和21年卒と書いてあったことだ。ということはこの方はすでにとっくのとうに80歳を超えておられるということなんだろうということだった。確かに歩きもおぼつかないし、歩くのも少しずつしか足が前に出ないのだけれど、それでもこういう会に出てこられるという気力が凄い。私はとても、そんな具合に歳をとることは出来ないだろうと思う。
 隣に2学年下のおじさんが来たのだけれど、その人が「管弦楽部」だったという。うちの学校はその当時からそんなクラブがあったというのだ。全く知らなかった。その方は今でも家にチェロがあって今朝も一弾きしてきたという。今度副会長になった一世代下の男性も高校に入ってからコントラバスを手にして、芸大で学んで今は某超有名交響楽団コントラバスを演奏しているというのにはびっくりして開いた口がふさがらない。中にはドイツで活躍してきたホルン奏者だっているんだそうで、いったいわが母校はどんな高校だったのかと、首をかしげる。昔から合唱部と弓道部(元はといったら高等女学校だから女子の方が両方とも強いのだけれど)が強かったのは承知していたが、都立で行くなら音楽に興味があるならここだといわれていたんです、というに至っては全く自分の高校ではなかったかの如くだ。
 私はこの高校では全く異なる社会に暮らしていたのかもしれないと、しみじみ思っただけでも今日は収穫だったといって良いだろう。それにしても、顔見知りが一人もいないというのも如何なものかと思うなぁ。

追記

 ネットで検索してみると、このホルン奏者は藤田修作さんとおっしゃる人のようで、お名前がわかってからは次から次に関連する人たちが判明してきて、この管弦楽部は随分広い人脈を作っていることがわかった。中にはその後私と同じ大学に進んで今ではジャズを趣味にしている人までいることがわかった。こりゃ凄い世の中になったものだ。