ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩

 某二つ目の噺家が「今年、寄席の高座に上がるのは今日で終わりかもしれません」なんてことをいうものだから、それじゃ見に行ってあげたいなと思って、病院へ行くのを止めたので、早い目に池袋へ出かけた。実は休みの日の朝一番に開かれる二つ目の会の時に入ったことがあるんだけれど、普通のプログラムの時に池袋演芸場に行くのは今日が初めてなんである。
 トリが柳家権太楼で、その二つ目が前座の開口一番の後すぐに出る。で、その前座ってのが歌之介の弟子で、「三遊亭ございます」っていうんだってんですなぁ。近頃はそんな類いの前座名が蔓延していて、円丈の弟子で「小田原丈」てのもいたし、権太楼の弟子で前座名を「おじさん」といっていたのだっている。彼は今は二つ目となって「さん光」と名乗っている。弟子入りしてきた時に見るからにおじさんだったからだと云うんだけれど、確かにそうだった。「ございます」は来月から二つ目に昇進するんだそうだ。
 カンジヤママイム、歌之介、小団治が休演で代演が丸山おさむ、林家しん平柳家小里んだった。声帯模写の丸山おさむは前半、この人はいったいどこでどうしているんだろうというような岡晴夫霧島昇ディック・ミネだったのだけれど、森進一のあとの田中角栄で今の政治を痛破したところで大爆発。なるほど、こりゃプロだと。客の中には笑えない爺もたくさんいたんじゃないだろうか。小里んはむか〜しから名前も顔も知っていて、寿4丁目の神輿でおなじみの顔だけれど、実は噺を聞くのは3度目くらいのもので、今日は彼が出るとネット上で確認したのが今日池袋へ来るきっかけのひとつでもあった。どうも彼は郭噺が好きらしくて、前回は「お直し」だったような気がするが、今日は「藁人形」だった。私はあまり郭の噺が好きじゃない。
 東三楼は権太楼の弟子で、今年真打ちに昇進した。初めて噺を聞いた。どうも若手が噺をひねると喬太郎に近づくような気がしてしょうがない。
 権太楼は「鰻の幇間」だった。たっぷりと40分である。この時期に夏の噺かよ、と思わないではなかったけれど、そりゃぁそこは権太楼だから、面白くないわけがない。端々に丁寧な、実にマメな権太楼節が唸る。「そこまでやるかぁ・・」と舌を巻く。同じ歳でこんなにマメな噺を十日間やるかと、感じ入った。恐れ入りましてございます。
 堪能の昼寄席だったのだけれど、いまいち客席が物足りない。ウワッ!と来ない。日本の爺婆は本当に大丈夫なのか?
 西口の「エルブレス」と新しく出来た好日山荘を見て回るも、収穫なし。荷物を背負ったままのレインウェアを探している。ポンチョとスパッツが第一候補なのだけれど、モンベルのそんなレインコートにひかれる。