ほぼ足りてまだ欲 その先

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疑問

 戦後70周年で談話を出すだの、新たにスタンスを元に戻すんだのと喧しい。しかも、なんの権威も権利もない、個人的な有識者会議なんてのを構築して、その結果を尊重するだのなんだのと、まったく専制的にやっとるんだけれど、「70」という数字にどうしてそんなに大きな意味があるのか、不思議でしょうがない。
 戦後50周年の1995年は第二次世界大戦を戦ったほとんどの国で、それをリマインドするべく様々なイベントが繰り広げられた。私は当時豪州のシドニーに駐在していたけれど、その一週間以上前から、「VJ day」が来るぞ、半世紀経ったぞとテレビで盛んに予告され、当日はテレビの生放送で当時のポール・キーティング首相が演説をした。アンザック・デーも大々的にジョージ・ストリートのパレードを中継した。正直、良い気分ではなかった。あの戦争を忘れちゃならないなぁとの思いを強くした。
 75周年とか、100周年を期して、というのは意味がわかるけれど、この「70」で戦争に対して、つまり国防に対して後ろ向きな政策へ大きく踏み切ろうとしている彼らには何周年でも良いンだろうが。
 ジョン・ダウワーがいう様に「普通」の国になる必要はこれっぱかりもない。何しろ彼らが言う「普通」の国は実に理想を持たない、他者に敵対することしか考えない、くだらん国なのだから。そのままにしておいたら、アメリカの真似をして、暴力から身を守るには登録すれば銃を持つことにしかねないよね。究極は彼らはこれをやりそうだ。