ほぼ足りてまだ欲 その先

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志願

 日本軍は先の戦争で、最後はめったやたらと飛び立てるように訓練したばっかりの学徒動員やら志願してなったばかりの少年飛行兵といった人たちを乗っけて敵に突っ込ませたわけです。いくらか操縦することができるようになったとはいっても、充分に訓練された歴戦の勇士はそれまでの様々な訓練によって金がかかっていますから、そう簡単に突っ込ませるわけにはいきません。だから、学徒動員でやってきた、多少飲み込みの早い大学生連中にちょっと教えて乗っけるわけです。
 今じゃ、あれは志願だったのだということになっていますが、「志願者をつのる!」といわれて、何人かが前に一歩出た時に、ひとりだけそのまま留まっていたら、鉄拳飛んでくるだろうということは容易に想像がつく、そんな軍隊でしたから、不承不承前に出るわけですよ。一節には志願をつのる用紙に、「熱烈に志願する」「強く希望する」「希望する」の選択肢しきゃなかったという話もあるくらい。
 しかし、ついこの前まで学生だった男がたったひとりで飛び立って、敵を探すなんてことが実際に可能だったのか、可能だったとしても、どれほどが後日公開された米軍のフィルムにあるように米軍艦船に突っ込むことができたのだろうか、甚だ疑問でございます。
 特攻機の無線は最後まで生かされていたという話も聞きます。だから、突っ込むことになった特攻兵が最後に叫んだ声が当然指揮所には聞こえていたはずなのだそうです。その言葉には軍に対する、あるいはそのために死ねといわれてきた天皇に対する恨み辛みがあからさまだったのだといいます。勿論「天皇陛下万歳」を叫んだものもいるし「おかあさぁ〜ン」と叫んだものもいるそうです。
 一体何と叫んだのか、それは私にはわかりません。しかし、相当な恨みだったことは想像に難くありません。なんたってそれまでの生活に区切りをつけて「死んでこい」といわれているわけですからね。
 美化するというのは非常に簡単で、この辺のことだって、死んでしまった人は勿論何もいってくれないし、生き残った上官、参謀たちが云うわけもない。現場にいて生き残った人が死ぬ間際になってどこかに記録に残しているかどうか、という程度のことでしょう。それを保存していない、保管していない、つまびらかにする方策を残していない国家はまた同じことを繰り返します。それは間違いない。