ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

こどもの日

 前に何度もここに書いていると思うけれど、やっぱり思い出したから書いておこう。
 子どもの日といったら思い出すのは、多分小学生低学年の頃のことだと思うのだけれど(推察するに多分小学校3年か4年の時)、オヤジに連れられて後楽園球場に巨人・阪神戦を見に行ったことだ。今日のようにとても良い天気で、デイゲームだった。レフト側の、多分外野席だったと思う(オヤジは死ぬまでアンチ巨人で実家の近所出身の阪神選手がいたし阪神ファンだった)。
 この話をしたらつれ合いが「ずいぶん恵まれていたのねぇ」というのだけれど、当時最先端だったトランジスタラジオを持っていった。ラジオの中継を聞きながら現場で野球を見るわけだ。つまり、歌舞伎座でイヤフォンガイドを聞きながら舞台を見ているようなものだ。これが面白くないわけがない。当時の外野は、今みたいに一致団結して、一斉に立ち上がってそろってコールするなんて具合じゃないから、その辺のおっちゃん、兄ちゃんがタイミング良く放つヤジで、みんなが笑ったり、緊張したりするという一致団結の仕方だった。
 そのラジオの中継にこどもの日だから私と同年配ではないかと思われる子どもがゲストに呼ばれていて、アナウンサーの問いかけにこたえたりしていた。羨ましくてしょうがなかった。その頃から、自分も目立ちたいと思っていたんじゃないかという気がする。ここがうちのつれ合いと全く話が合わないところなんだけれど、彼女はそもそもそんな発想をすること自体が考えられないというのだ。
 後楽園の帰りに、二人は本郷に立ち寄り、東京駅へ出る。当時の東海道線にはオレンジと緑の電車も走ってはいたけれど、電気機関車に引っ張られた列車も普通に来ていた。その三等車に乗って横浜へ帰った。なかなか来ない列車を待っていた東京駅のホームの場面が記憶に残っている。もうかすれそうだけれど。電気機関車が「ピッ!」といってひっぱると、連結が前から後ろに向かって「ガチャン!・・ガチャン・・」と音を立てる。するとすーっと動き出す。しばらくの間は併走できそうな走り出しだった。